30年前は香港が良かった。台湾を知らなかった時のこと。
「もう2度と来ることはないな」
1994年10月4日、台湾から日本へ向かう飛行機が離陸して、島と海の境界線が次第に見えなくなった時、そう確信したことを今でも覚えています。
ついさっきまでいたその南国に、私は何の特別な感情もなく、三日間という短い滞在を終えて、
旅の少しの思い出と、沢山のお土産をカバンに詰め込んで、翌日からの日常に思いを馳せていました。
その旅は、私の初めての台湾。丁度30年前、職場の社員旅行でした。
「絶対香港が良かったよね」
同僚と、なぜ台湾が旅行先になったのか、というため息交じりの残念な会話をしたことを覚えています。
「どうして台湾になったか知ってる? 台湾の林(リン)さん。ほら、よく専務のところに話に来る、日本語が達者な林さん。専務と昔から親しいのだけれど、『是非皆さんで台湾にいらっしゃい!』って。それで決めたらしいわよ」「へぇ、そうなんだ、、、。台湾、ねぇ、、」
当時の私は、台湾と言われても、思い出すとすれば台湾バナナ、二流の電化製品(その頃の印象)、、、ぐらいでした。父が好物の台湾バナナに、そういえば台湾の島らしき形が描かれたシールが貼ってあったなぁ・・・中学生の頃愛用していたラジカセは、「Made in Taiwan」だった気がするなぁ・・・・でも電化製品は「Made in Japan」がいいな、と。
近場なら「香港がいい」ーが女子社員の一致した希望であったので、皆落胆していたのです。
香港に行けば、美味しい飲茶があるし、高級ホテルでのアフタヌーンティ、ブランド品のショッピングに、百万ドルの夜景・・・。
当時の香港はまだ中華人民共和国への返還前。東洋でありながらイギリスの香りが漂って、喧騒の中にも、異国情緒な雰囲気が漂うおしゃれな街ー
女性誌では女優さんの香港滞在記やら、香港特集花盛りの時代。
香港は憧れの旅行先。
(でも時の流れは残酷...中国に返還後、私たちは、あんなに煌めいていた香港の輝きが、徐々に色あせていくのを目にしてきました。私はいつか見た香港を舞台にした映画のタイトルが「玻璃の城」だったことを思い出します。 高層ビルの側面が互いに反射しあい、近未来的な雰囲気を醸し出していた街。キラキラ輝いていた香港は、脆くて壊れやすくて、まさに「玻璃の城」だったと)
話が脱線。二泊三日の社員旅行はそれなりに楽しいものでもあり、気温も思ったよりも暑くなく、台湾で見た雲一つない青空は、心なしか日本より色が濃い気がしたことを覚えています。
あれだけ「香港が良かった」と言っていた私も同僚も、快晴の下、皆それなりに楽しく、バスに乗って、中正紀念堂、忠烈祠、故宮博物院、龍山寺、、、とお決まりの観光コースを回り、ツアーの食事を食べ、免税店で買い物をし、、、あっという間の3日間終了。観光バスを降りて道を歩けば、おびただしい数のバイクに驚き、当時は台北メトロが建設中で、工事の音や埃っぽさに閉口してしまった記憶もありました。
自由な時間がほぼなく、台湾の人と触れ合う機会は免税店の人とのみ。
ホテルで食べたお料理は、日本で食べる中華料理と大して変わらないな、、などと思ってしまったぐらいです。
バスに乗って有名観光スポットを周り、降りて集合写真を撮って、ツアーに組み込まれている食事をとって、免税店でお茶を買って、、、それだけの行程が終わったあと、私はもう十分に、台湾を知った気がしていました。
そして帰りの飛行機で、ただ漠然と、でも実感として
「もう2度と来ることはないな」と思ってしまったのです。
台湾から戻った翌々年、私は国際関係の仕事に部署が変わって、欧米やアジアの人たちと出会う機会が増えました。
台湾の人たちとの初めての仕事は、1997年。
中国語の通訳の人に、「台湾の人たちは冷たいお弁当は食べませんから」、と言われて驚いたり、何もわからないまま、研修や会議などで台湾の人と話をすると、どうやら日本のことをよく思ってくれているらしい、日本が50年間台湾を統治していたのは教科書で習ったけれど、日本人はいいこともしたらしい。「半世紀の統治」、という短い知識だけで流してしまうのは何だか勿体ないのかも。
そう思って探した台湾の本を読むと、日本統治時代の物語だけでなく、日本が去った後の台湾の悲しい歴史のこと、、、全然知らなかった!ということばかり。「目から鱗」というのはこういうことを言うのか、と衝撃を受けました。
そして、出会った台湾の人たちの中に将来の夫になる人がいて、まさか結婚すると思いもしなかったのが、結ばれていたのは赤い糸(ちょっと古い言い方かな)。こうして、私の人生が台湾に吸い込まれていきました。
のちに気が付いて驚いたのが、夫との交際期間を経て、結婚のため台湾にやって来た日が10月4日だったこと。「もう2度と来ることはないな」と、確信したあの日と同じでした。
それは偶然で、でも、不思議な気がして。
「もう2度と来ることはないな」、が、「これからずっとお世話になります」、になったなんて。
つくづく、人の確信なんてあてにならなく、「絶対そうだろう」、と思うことも、もしかすると数年後は違っているかもしれません。
台湾と出会って、今年で30年というきりのいい年の10月に、あの時のことを思い出して書いてみました。
(写真、台北郊外の観音山)
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