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暗闇に 光差す種 十五の春

noteの初投稿で、『みなさんには、一人一人それぞれの可能性が山のようにあるぞ~!!』と声を大にして言い切っている私に、

我が社を代表する有能なスタッフが、

「社長はみんなに可能性があるといつも言ってますけど、社長にはそう言い切れる何かがあったんですか?」と突然聞いてきた。

さすが、我が社を代表する有能なスタッフだ。

私の話を決して聞き流さない。

確かに私はいつも、「一人一人に可能性がある」と会う人みんなに断言してきた。

「どうしてそう思うのか?」

そう聞かれて、

はて? 私は一体どうしてここまで強く断言しているのだろう?

自分に問い直した。


今まで多くの人たちの可能性が開花されていくのを見てきたからか?
いや、そうじゃない。

すべては自分自身の中にある。『私はここから始まった』と思っていることはある。でもはっきりそこを見つめたことはない。

これは、はっきりさせる必要があるな。

スタッフの質問のおかげで、あらためて自分を見つめ直すことになった。



過去のことは、いいこともあるけれど、人にはあまり言いたくないことも山ほどある。

え~い!!それでも、ここは思い切って、過去の自分を振り返ってみようと思う。


私のプロフィールを見ると、元全日空CA、(株)ラヴィ代表取締役 とあるので、一見ものすごく華やかな印象をもたれることが多い。
「いいなぁ、順調にキャリアを積み上げて、さぞや優秀な人生を歩んでこられたのですね。」なんて、言われることもある。

しかし、実際の私は違う。なにを隠そう、

私は、中学浪人だった。


もう45年も前の話。
実は、一番言いたくなかったこと。

えっ??
中学生で浪人しちゃうの?
滑り止めは受けなかったの?


と突っ込まれそうですが、当時の私は公立高校一本狙いで受験してしまうのですね。

公立高校一本狙いと言うとかっこよく聞こえますが、その高校に絶対入りたかったからというわけではなく、本音で言えば、全然何も考えていなかった・・・というお粗末な話です。

何にも、考えていない。

まさしく、これこそが、その当時の私を表す言葉。


この話を書くにあたり、私の妹にその当時の自分のことを聞いてみた。
自分より、周りの人のほうが、自分を良く見ていると思うから。

そしたら、妹、なんて言ったと思いますか?

「あ~。そうだね~。
その当時の直しゃんは、人間というよりも、どちらかというと獣だったね。」

「 獣? 

「そうそう、あれは人間じゃないね。四本脚で走り回ってる感じだった。」

直ちゃん

自分では、獣だなんて、自覚もないし、覚えてもいない。確かに運動は大の得意だったけど。

60歳になって、これは相当にショックな話。

それでも、人間らしくなかったとしても、高校受験までは何となくやってこれていた。
只々楽しく過ごしていた。
教室でも家でも、勉強していた記憶はほとんどない。
全く真剣みがなかったんだろうな。
ただ、要領はよかったから、大抵のことは適当にすり抜けてこれた。

これがいけない。甘く見ていた。

そんな感じだったから、受験も何となく受かるだろうと思っていた。
情けないことに、受験している光景すら思い出せない。そして、

不合格

今まで、何も考えず、適当にやってきた結果だ。

何も考えていない私だったのに、いざ不合格とわかった瞬間、頭が真っ白になった。

恥ずかしい。

15歳の自分に対して、はっきり、初めてNO!と言われた気がした。
途方に暮れた。
これからどうしたらいいんだろう。
母は、すぐさま中学浪人専門の予備校に入学手続きを取った。誰よりも早く。


私が不合格とわかったその日。
我が家では、食卓テーブルを使って、家族全員で一晩中、卓球をした。

私が落ち込まないように。余計なことを考えないように。みんなが助けてくれた。

その光景は、私の宝ものだ。



15歳。浪人生活が始まった。

通学は、高校生の登下校の時間とずらして通えていた。
きっとみじめな思いをさせない予備校側の配慮。

高校生が誰も乗っていないガラガラのバス。
中学校の制服を着て、歩く私。

自分だけ世の中から取り残されているようで、みじめだった。
完全に社会からはじき飛ばされている感じだった。

予備校の校舎は、古びた木造の平屋建て。
静かな空気が流れていた。


生徒は、100人。
そのうち女子は5人だった。
みんな同じ教室で授業を受けた。

校長先生も、教えてくれる先生達もおじいさんだった。
おそらく、教職を退職されて、まだまだもっと教えたいと思っている先生たちだったのだと思う。


予備校に入学して、まず私がやったこと。
というか、させられたこと。

それは、受験の勉強ではなく、
『福沢諭吉の学問のすすめ』の音読と、それを暗記することだった。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。(学問のすすめ/岩波文庫)

この部分だったと思う。

これを、一人一人校長室に呼ばれて、校長先生の前に立って、姿勢を正して、暗記した文章を大きな声で言い切る。暗唱するのだ。

こんなミッションが与えられた。



何のためなのか、この文章が何のことなのか、何もわからないながら、

“校長先生の前で、一人で大きな声で全部を言い切らなければならない。”

これが、自分にとってどれだけ大きなプレッシャーだったことか。

家に帰って、毎日毎日、ただひたすら音読と暗記。

ただそれだけをした。


当時の私の様子を傍らでまざまざと見ていた妹が、今になって初めて、その時のことを話してくれた。

毎日、勉強しないで、ずっとこればっかり声に出して読んでるけど、
勉強しないでいいのかなぁって思ってた。

でもさ、不思議な感じなんだけど、日に日に直しゃんの顔つきが変わってくるんだよね。

なんか、獣が人間になっていくって感じでさ。

それ見てて、あ~直しゃん、校長先生から自分の中に何か大事なものを貰ったんだなって思った。

それ見て、なんだかうらやましいなと思ったんだ。

と話してくれた。


 

そしてある日、とうとう私の番が来た。

校長室の前。横に開く扉をガラガラッと開けて、入室。

校長先生の前に立った。

『澤田直子です。学問のすすめを暗唱します。』


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり。 されば天より人を生ずるには、万人は万人、皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく… 』

心臓が張り裂けそうだった。でも、最後まで、堂々と言い切ることができた。

できた! 私でも、やりきることができたんだ!!

なんとも言えない気持ちになった。

自分自身に向き合ってやり遂げた、初めての私の大切な記憶。



この時から、自分で勉強しようと本気で思った。

英語の参考書を自分で見つけた。それがものすごくわかる参考書だった。

なるほど!そうか!そうだったんだ!!

自分で納得できて、わかったという実感と喜びがあった。その感触は今も覚えている。

本当に何も考えずに時間を過ごしていたから、
自分でわかっていくことが、こんなに面白いなんて初めて知った。

もしあの時、間違って合格してしまっていたら、
一生、自分でわかっていく面白さに気付けなかったかもしれない。

そして、人の想いに心を寄せたい。そんな気持ちを持つこともなかったかもしれない。

そう考えると、人生には、その時の瞬間では、決してわからないことがあるとしみじみ思う。


予備校に通い続けて、いよいよ明日は受験の日。
教室のみんなの前で、校長先生が言った。

いよいよ明日受験だ。
一つだけ言いたいことがある。

いいか、明日はあわてるなよ。
あわてて走ったりしてはだめだ。

いつもどおりに、みんな、やってこい。


校長先生の愛情をこころから感じた言葉だった。


あわてないで、いつもどおりに。


こうして、私たちは、皆そろって受験に臨み、
無事希望の学校に入学することができた。


今、思うことがある。

最初に校長先生が、学問のすすめを暗記させて声に出して言わせたことについて。

それが何のためか
福沢諭吉とはどういう人か
どんな意味で、なにを言わんとするか


校長先生は、全く何も言わず、説明せず、

ただただ声に出して、ひたすら覚える

これだけをさせた。


ここに私は、深い意味を感じる。

何にも教えない。
この意味を知っても知らなくても、実は内容が大事なわけではない。

大事なことは、
今に集中して、
自分に真剣に向き合って、
堂々と暗記したものを言い切る。

その行為そのものが一番大切だったのだと。


人によっては、福沢諭吉に興味を持つ人もいるかもしれないし、学問のすすめの意味を知りたいと思う人もいるかもしれない。
でもどう思ってどうするかはその人の自由。私はただひたすら声に出して暗記したのだ。


今まで何にも集中できず、やりきった実感がなかった私に、はじめてできた!と思わせてくれた。成功体験を持たせてくれた。

あの日、私は本当に嬉しかった。

これこそが、教育だと思う。


そんな私が今、研修講師として人に教えている。

そして、受講する方々が自分に向き合い挑戦していくような体験型の研修を進んで行っている。
この研修スタイルは、自分が構築してきたものだと思っていた。
でもこれは、まさしくあの校長先生の影響が私の中にあったからだと、ここまで振り返って気づかされた。


数年前のある時、私はアインシュタインが言ったメッセージを偶然に見つけて、夢中でメモしていた。あまりに素敵で、心にズンと響いたから。

『教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に残るものである。』

ハッとした。これだ。
まさしく、あの時、校長先生たちが私たちにしてくれたことだ。

今、あらためてお礼を言いたい。

授業の内容は全て忘れてしまいましたが、
自分で生きる大切さを教えてもらいました。
校長先生、教えてくださった先生方、本当にありがとうございました。

私も、アインシュタインが残した言葉のように、

セミナーを受講された方々が、

私のことなんか忘れていい。
内容も全部忘れたっていい。

全部忘れてしまっても、何年か経って、その人の中に、小さくても何か残っている。

そんな研修ができる講師になりたい。

あらためて言葉にして思った。


周りから見たら本当に酷くて可哀想で、もちろん本人は真っ暗闇でどうしたらいいかわからないような状況になったけど、振り返ると、その時の時間、その時の自分は今の私を確実に支えている。

私の話は、ひとつの話ではあるけれど、
『暗闇の中からも、自分の種を発芽させることができる。その可能性が、みんなにある。』
と私は信じている。

アインシュタインゆきお

この記事は、手違いで削除したため再投稿しています。前回、せっかくスキしてくださった方々、誠に申し訳ありません。スキありがとうございました♡

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