森本ナオコ
一般社会に馴染めない人が行きつく場所はいろいろありますが、その一つは、アートの世界です。私はそのようにしてアートの世界に行きました。 (アート=絵だけでなく、音楽やクリエイティヴなもの全て含めて言っています) もちろん一般社会で成功を収めた人が、非常に器用なためアートでも成功するという素晴らしく多彩な方もいらっしゃいますが今回は例外とさせてください。 アートは何でも許される。非常識な服装や態度、生活態度も許される素晴らしく居心地の良い世界です。既存のルールに対して疑問を投げか
memento moriトランプを作っている事もあり、どう生きるか考えている。自分の願いを叶えていこう! 創作活動をしていく中で、不利益を被る機会が多かった。なぜ、私たちは報われないのか。自分の反省も含めてですがアーティストさんやクリエイターさんに足りないもの。 →それは一般社会ルールの理解、つまらん文章への読解力、そしてその様式へ対応する書類作成力じゃないかな。 一度は好んでレールを踏み外したわけだからそっち向くのは難しいのですが。 書類などを見たら メンドクセーーーー
言える時代になったので、ぶつくさ言っちゃいます。 子連れで出かけると対応が明らかにママ対応。それはあたりまえですね。 しかし、一人でいても子がいると分かるとママなんですね!とママ話になり、 旦那さんのお休みは?つまり、仕事は夫しかしていないモードの質問などで、仕事してる風には見られていないし、「私」が主体の対話がなくなります。 話題提供してくれる優しさだと分かってはいますが。 子持ち=子が全て ママ=仕事してない 結婚した女性=家庭の話が好き という思い込み、刷り込みがマミ
東京ビッグサイトでのクリエイターに特化した展示会、クリエイターEXPOに参加して仕事に対する意識が変化してきました。 ご来場者様「で、〇〇を依頼ならいくらですか」 私「ん、、ぐ、がぁ、、えっとぉ〜(冷や汗)」 という場面を何度かやらかしまして。。。 また、それぞれが違うビジネスをしているシェアオフィスに入っている事で(絵描きは私だけです。)クリエイターも、個人事業主であり、何らかのビジネスを展開している。という発想に変わりました。 クリエイターさんの声を聞くと 本人も
芸術家、音楽家などのアーティスト系クリエイターと接する機会が多かったです。見事な才能があるのに長い間くすぶっている人もいて、製作ではお金を稼ごうと思っていなくバイトをしていました。お金は悪、経済活動は悪、普通は悪、一般社会からは距離をおくべきといったグループ内のルールが強く、それに縛られている場合がありました。 また周囲からも貧乏絵描き、売れないミュージシャンが普通である。貧乏でもしかたないし、生きているうちは売れないのが美談のようになり信じちゃう。 製作が一番楽しいのはわ
私を理解して欲しい、愛されたいという喉の渇きみたいなもの。 ある程度生きていると人から見えるようになりました。(そのうち魔女になれるかな。) 愛されるとは簡単に言うと あなたは、ありのままで大丈夫だよ、素敵だよ。いいんだよ。見てるよ、と受けとめてくれる安心感じゃないでしょうか。 安心感を携えて 自分のことを好きになる 風を受けても前に進む 勇気を奮い立たせて覚悟する ただ甘いだけじゃなく 苦しいけど行けるって、ぐっと抱えて進むような。一歩を踏み出そうと思える。 そん
バッグデザイナーの会社員時代の話から始めます。海外での大量生産を主にしていたので、外国の方と仕事することが多くありました。考え方のベースが違うから、はっきり具体的に言わないと伝わらない。可愛い、一つとっても、お互いの可愛いが違うから、とんでもない物が仕上がってきてしまう。 ショルダー幅を五ミリ削る、ベルト先を尖りから角丸に。色はパントーンカラーの何番。yesかnoかと具体的に言わないと伝わらない。泣いたり怒ったり、要求をストレートに言ってきてお互いに腹が立つし、激しいんだけど
今日は子どもを育てていく中で気づいたことについて書いてみます。色々ありますが、その中の一つに、自分の番は終わったのかな?という感覚があります。少し余生感が出てくるというのか。ご先祖様からの命の行列ができているとしたら、新しさ的には二番目に位置したわけです。 そのことをテーマに以前描いた絵です。(mother 鉛筆、木炭、紙) 歴史や自然科学は教科書の中のことで自分とは関係ない気がしてあまり興味がなかったのですが、子どもの存在によってやっと自分と過去が繋がりました。本当は、皆
ずっと変わらず持ち続けている思い。自分も幸せにしたいし、周りの人も幸せになってほしい。共に生きていきたいというテーマがあります。 カードで遊ぶことでなんとなく毎日が楽しくなったり、また誰かの悩みを解決出来るかは分からないけど同じような気持ちの人が居ると知るだけで楽になることもあるんじゃないでしょうか。 誰かを救いたいとかそんな大げさな感じではなく、そっと、いまの同じ時代を共に、日々健やかに過ごしてしていけたらと思います。アートという技法を用いて、生活の中に寄り添うカードとい
清澄白河のondoギャラリーで開催された「所在ないもの」展に参加しました。 https://ondo-info.net/gallery_tokyo/ondo/past2020/?id=17791 絵描き、山口法子さんの発案で始まった企画。飾っているわけでもない、大切にしているわけでもない、居場所の無い、なんとなく家にある「所在ないものたち」に着目したグループ展でした。面白い着眼点です。 会場の中央にはみんなで持ち寄った「所在ないもの」 山口法子さんの作品 きたしまた
絵描きの山口法子さんに誘って頂いたグループ展に参加しています。お立ち寄り頂けましたら嬉しいです。今日、明日になってしまいましたが、是非お越し下さいませ。 (明日最終日9/27 12-17時まで在廊いたします) 東京 ondoギャラリー 「所在ないもの」 9.18 (金) − 9.27(日) 12:00–19:00 23(水), 24(木) 休み ※最終日17:00まで 展示詳細→ https://ondo-info.net/gallery_tokyo/on
小学生のころタロットに興味を持ちましたが、書店で入手したものが自分の気に入った絵柄でないこと、使い方が難しく、理解できなかったことからすっかり遠い存在になっていました。 最近になりトランプに興味をもちオリジナルで作ってみたところ、諸説あるようですがトランプとタロットカードの関わり等を知り興味を持つことになりました。 強烈に惹かれたのが中世フランスで作られたマルセイユタロットです。 元々ブリューゲルやボッシュなど中世の絵画が好きでしたので怖いような神秘的な絵柄が私には魅力に
小さいころから絵を描いたり、何かを創作するのが大好きでした。美術系の大学に進んだあとアート関係の活動、色々なことをしてきました。 現代美術や写真は非常に心を動かされたけれど、その活動ではほとんど無収入でしたから、生活の糧を得るために他の職業に就かないといけませんでした。就いた職業はカバンの下職人、販売、派遣のOL、サービス業、等。頑張ってやっと人並みにできるようになり、学んだ事は沢山ありました。 しかし得意ではないから心から楽しめない。だから続かず職を転々と変えました。そう