
記憶を書き換える
何かを見て、解釈するとき、私たちは脳の中の古い記憶を引っ張ってきて、それに照らし合わせます。あまり見えていなくても、何なのかわかる時もあり、見えていてもわからないことがあるのは、この「記憶」があるかないかによります。
ある日、目のエクササイズをしていた時、この「記憶」について、面白い発見をしました。
スネイルカードという、目医者さんで良く見るアイチャートの同じものを2枚用意します。一枚のチャートは、〇.七メートルぐらい離れたところに立てて置いて(●)、もう一枚を目から近い良く見えるところに置きます(▲)。近視の場合、(●)の文字は、大抵ぼやけて見えます。(●)のある列の文字を見たすぐあとで、(▲)のシートの、同じ列にある文字を見てます。真っ黒な文字が真っ白な背景にある、その黒さ、形を記憶に焼き付けます。そして、もう一度(●)の文字を見ます。このサイクルを繰り返して行くと、徐々に(●)の文字がはっきり、前よりも黒く見えてくるのです。瞬時にして、視力が改善します。なぜでしょう?

以前にもお話しましたが、私たちは目でものを見ているのではなく、脳で見ています。なので、頭の中に、「あの文字はぼやけて見えないものなんだ」という思い込みがあると、そのように見えてしまうのです。そこで、今までとは違う「正常な見え方」に戻すには、脳の中に刻み込まれた記憶を書き変えることが必要になってきます。でもね、これ、よーく考えると、記憶を書き変えているのではなくて、元々あった記憶を取り戻させようとしているとも言えます。余計な思い込みを削ぎ落として、「元はこういう風に見えてたんだよ。こんな視力だったんだよ。」って脳に教えるんです。目と視力が正常でない人に、物がぼやけて見えるのは、「ぼやけた像」の記憶が焼き付いているためだと言います。
裸眼=ものがぼやけて見える
矯正=ものがはっきり見える
という記憶が焼き付けられているのですね。さらには、
裸眼=ものがぼやけて見える=劣=ダメ
矯正=ものがはっきり見える=優=良い
という構図も記憶に焼き付いています。矯正器具で視力を直していても、「目が悪い」ということは、何かしらのハンディキャップ感をその人に持たせます。そのためか、特に近視の人は、景色やオブジェに比べて、人や文字を見るのが苦手。人と関わることが、苦手な人が多いのです。
目に限ったことではなく、顕在意識上の「記憶」は、私たちが今ここで体験していることを制限してしまい、世界を狭めてしまいます。
元々あった記憶とは、目が悪くなる前の記憶ではなく、おそらく私達が生まれる以前からの記憶なのでしょう。そしてその頃の私達の目には、ありとあらゆるものが、クリアに見えていたことでしょう。