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日本は何処へ〜一円の愛

まだ現金を使っている私は、買い物をしていて、一円足りないなんてことがよくある。その日もそうだった。一円足りなくて、財布中を探したが、見つからない。それで、立ち尽くしていた。なぜ十円玉を出さずに立ち尽くしていたのか?

店の人が一円を差し出してくれると思ったからです。

これは、アメリカから帰国してまもない頃のこと。私はレジの女の子をじっと見る。レジの女の子も、私の方をじっと見ている。私は彼女が一円を差し出してくれるのを待っている。彼女は私が早く支払いを済ますのを待っている。一抹の沈黙。ハッと気づいた私は、慌てて十円玉を差し出したが、気持ちはとても寂しかった。心の中では、「一円の愛もないのか?」と悲しむ自分がいました。

アメリカではという話をするのは嫌なのだが、ここは、あの国の良いところで、スーパーのレジで、一セント足りないと、必ずレジの人が差し出してくれる。大抵は小さな入れ物がレジの横にあって、そこにお客さんから払ってもらった一セント玉が貯めてある。後ろで並んでいる人が差し出してくれることもある。クーポンやカードを忘れても、「いいよ、いいよ」と店のクーポンをその場でスキャンしてくれる。これがサービス精神というものでしょう。日本は、こういうサービス精神が欠けてるよねえ。というか、こういう優しさや愛が欠けてる。一円で、忘れたクーポンを貸してもらえることで、どんなに気持ちが救われることか。そんな柔軟性も余裕もないほど、心は硬くなってしまっているのか?

冬の寒いある日、ニューヨークで、ホームレスの人が近くの小さな食料品店に迷い怒んできた。この人は、コーヒーを一杯飲みたかったのだが、お金がない。すぐに、レジで並んでいた人の一人がその人にコーヒーを買ってあげた。なんでもない普通の行為だ。日本の都会ではまず起こらないだろう。ニューヨークの地下鉄の混んだ車内でおじさんが新聞を一枚床に落とした。新聞が落ちるか落ちないかのタイミングで、2、3人の人が座席からサッと立ち上がって、新聞に手を伸ばして拾い上げようとした。そんな「人を助ける準備」が都会でもみられる。日本の都会東京ではどうなのだろうか?

助け合いといえば、もう一つ。日本で新しいアパートに移った時に、少し値が張ったクーラーを買ったので、電気屋の人が取り付けに来てくれた。その時、同時に天井に電灯をつけるのに困っていたので、お金を払っても良いから、取り付けてくれと頼んだ。そのお兄さんは、スッとiPadを取り出して値段を調べ、1500円ですと言った。見ていると、いとも簡単な作業だった。知っていたら、私でも出来た。でも、彼は、良心的に教えてくれるでもなく、サービスでやっときますよと言うのでもなく、機械的に、値段をさし出して、作業を行ったのである。それで終わりだった。アメリカだったら、「僕でも出来るけど、お金かかるよ。自分でできるから教えてあげますよ。」と言ってくれてた。

そういう、日常での知らない人からの親切が、日本には欠けているように思う。大きな災害でも起こらない限り、助け合い精神みたいなものは見られないのだろうか。アメリカに住んでた友達に話すと、「それって、クリスチャン精神じゃない?」と言う。博愛か。西洋人が博愛だとすれば、日本人の愛は、どんな愛なのだろう?親しい人達の間だけでの愛か?それでも、道で迷っていると、助けてくれる人はいるが、迷惑そうな顔をされる。愛想よく助けてくれる人は少ない。迷って困ってるような顔してるんだから、近づいてきて「どうかしましたか?」って聞いてくれないかな。それだけ日本の人達は一杯一杯で、パンク寸前、余裕がないということか。「ことなかれ主義」のなれの果てか、愛をあげるのも受け取るのも怖くなってきているのか。10年前に比べても5年前に比べても、確実に心は寂しくなっている。経済や政治やいろんなものが奈落の底に落ち込んでも、心を明るく、優しさと愛を持って日々を過ごしたいと思う。そうすることでしか、そんな小さい行為を積み重ねていくことでしか、日本は変わっていかない。心がひらけば体が開く。体が開けば脳が変わる。多くの人に変化が起これば、風景が変わる。

そんなことを考えている中、最近の東海岸でのハリケーン。友達はノースキャロライナに住んでいて、大変な被害にあっているが、民間の会社が何頭ものラバの背中に食料や水を積んで谷や川の間を歩かせ、物資を届けていると知らせてくれた。

https://www.southernliving.com/hurricane-helene-north-carolina-mules-8721273

なんとも心温まる話だが、この会社は、通常ラバをトレーニングして、トレッキングなどに派遣するのが仕事で、こういう時は無論、臆さず無償で助ける。また、私の友達はフェイスブックで寄付を募り、個人で地元回復の資金を集めていた。災害では私達の「準備の出来具合」が試される。そして、その準備は日頃から鍛えておかなければ、いざとなった時に使えない。いつも動けるように、いつでも自分のことだけでなく、他人を社会全体を視野に入れられるように、日頃から心がけたいものだと思う。


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