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nikki 25

おはよう、月曜日。四時起床。眠れないことを、くよくよしても仕方ないので、ヘッドホンつけて音楽を聴きながら、今日もこうしてnikkiを更新しています。今聴いてるのはくるりの「奇跡」、エンドレス・リピートしてる。

いつもトップの画像はこれまでに自分が撮りためてきた写真を使っているのだけど、今日は何を書こうかな、と思いながら、久しぶりに昔撮った写真を眺めてたら、三年くらい前、当時通っていた写真教室で出会った友人(わたしを含めて3人)で、小豆島へぶらり女子旅に行ったときの写真が出てきて、すごく懐かしい気持ちになった。

今日の一枚は、その小豆島での旅を終えて、船に乗って帰る途中、船上でみた「朝やけ」を。ちなみに昨日の一枚は、小豆島へ向かう旅の途中でみた海にたゆたう「ひかり」の写真でした。

あれから時が経ち、わたしたち、それぞれの「現在地」も変わってしまって、彼女たちに会うことも連絡をとることも、ほとんどなくなってしまっているけれど、元気にしてるかな、って思ったら泣きそうになっちゃった。

わたしが写真を学んで、一番の大きかった気づきは、どうやったらうまく写真が撮れるかといった技術的なことじゃなくて(もちろん、技術的なこともたくさん学ばせて頂いて、そのことにもこころから感謝しているけれど)「今」という瞬間は「今」にしかないということ、だったような気がしています。

どんなに懐かしくても、あの時、あの場所でしか感じられないもの、その時感じた、においや、温度や、気持ちや、体温までもが、写真にはちゃんと写っていて、時が経ってからそれに触れるたびに、わたしはいつも泣きそうになってしまう。この気持ちをうまく言葉で言い表せないのだけど、二度と訪れることのない瞬間が、写真に残っていることは、本当に「奇跡」のようなことだと思うのです。

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わたしがいま住んでいる家の近所には大きな川が流れていて、そこには大きな橋がかかっているのだけど、その橋のたもとの、川べりの、誰も気づかないような場所に一面、アカツメクサが咲いているのを、この春発見して「秘密の花園」って、自分でそうっと名付けて、そこを通るたびに、わたしは密かにしあわせな気持ちになっていたのですが、先日、その橋のたもとを通ったら、アカツメクサたちが全部刈り取られていて、なんだか、さみしい気持ちになった。

あの一面のアカツメクサたちを見かける度に、幼い頃、花冠を作ったりして遊んでいたことを思い出したりして、古くからの友達に会うような気持ちになっていたから、もう、あの場所で一面のアカツメクサたちに会えなくなってしまった今、全てが幻のように思えて、夢の中にいるような気持ちでいます。

アカツメクサ4

いや、本来、人生は全部、夢のようなものなのかもしれないね。そのことをいつも忘れそうになるけれど、それを忘れないように、この奇跡のような時の連なりを今日も生きていこうと思います。わたしにとっても、みんなにとっても、今日がよき日でありますように。

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