見出し画像

ショパン国際ピアノコンクール 審査について 2015年の例。

ショパンらしさとは??審査員の意向が解らない、、
そんな声をよくお見かけします。
こちらは2015年にFacebookに書きました私の個人的な見解ですが、
視点の一つになられましたら😊

さてさて、ショパンコンクールの審査員の方々の点数表が公表され、
色々質問をいただいていました。
何故その様な審査結果になるのかが見えない時、人は奏者を批判しがちになります。
そのようなことは、本人でなくとも多くのピアニスト達は
やはり心が痛むものだと思います。
そしてその責任を負っている審査の先生方も。

自分とは全く違う耳・価値観で聴いている人がいる、
そんな事を思う機会にもなるかな?と、私の個人的な見解ですが
私の聴き方を書いてみようと思います。

全員は聴けていないのですが、演奏やレッスン、またこれまでの各記事で存じ上げている審査員の先生方のお考え・審査法は私はとても納得し、
点数にはそれぞれの先生が大切にされていることがよく表れているように感じ、
とても温かい気持ちになりました。
音楽の基礎的なアーティキュレーションや語法・構成力・テクニックは大前提とした上で、以下、私の個人的な感想です。


まず、2位までのお二人はやはり総合的に素晴らしく、
ソンジンさんは先日書きました通り、
そしてアルマンさんはソンジンさんとはまた違うタイプで、
(私の思う)ショパンの感性に近い印象を受け、とても温かなお人柄に感じました。
ソナタの3.4楽章は本当に素晴らしく、涙がでました。

そしてそんな中、ヤシンスキ先生やパレチニ先生など、ポーランドの先生方が
3位のケイトさんのみにファイナルで満点(1位)をつけていることが、
私はとても心に来ました。
前にも書いたとおり、彼女は細かいミスはあるものの、
とても心・魂の通った音を元に音楽を組み立てているのです。
ショパンの演奏をする時に、(もちろん技術がなければそれも表現できないのですが)先生方、そしてショパンが大切にしている、音の意味・魂、
それを先生方はやはり聴いておられるのだと思いました。
また彼女は奏法に無駄がなく、華奢なのにリラックスした良く通る響きがします。
これは奏法によるものです。

先日、情熱大陸にて、小林愛実さんのアメリカでの先生が指導していらっしゃった筋肉・腕の使い方がそれであり、
そしてそれは、国際コンクールへ行くのであれば、本来小学生の時からレッスンされ中高生までに身につけておく事が望ましいものです。
違う筋肉を使う癖のついてしまった手を後から変えるのは、とても長い年月がかかるからです。 
(以前ブログにも書きましたが、ロシアのある流派のピアニストの方々は5歳からその奏法で育てられています。)
最近は科学の方面からも研究され、ロシア奏法は体に負担が少なく音質も良いことが証明されてきています。ですので、番組を見ていてとても切ない気持ちになりました。
日本の音楽教育・コンクールでは、ヨーロッパの音楽基準と違う音への価値観で結果が出る事も時折あります。そのため国際舞台へ出るまで気づけないことも多いのです。。ですので現在はそれに対して御尽力されている先生もたくさんいらっしゃいます。

そしてアルゲリッチさんは、その小林さんなど、やはり彼女と同じ性質の路線にいらっしゃる方に点数をいれておられ、ショパンというよりも、
「ピアニストとしての天性の資質」を聴いていらっしゃる印象を受けました。
良質の神経伝達を含めた、自分のしたい表現が表にはっきり立つ演奏です。
私はアルゲリッチさんのショパンは、ショパンではなく「アルゲリッチさん」に聞こえます。例えば前回のボジャノフさんや、ポゴレリッチさんも、その路線の方です。
ショパンの性格からは離れていてきっとそんな風には弾かないだろうな、、、という演奏なのだけれど、とても魅力的なのです。
人間的な、清濁混ざった心、そのとても強い葛藤。
それがそのまま表れるような演奏です。
彼女達のそれは舞台人としてとても強烈な個性であるとも感じます。
ですので、演奏を聴いていると胸が痛くなることがあります。。性質としては、ベートーヴェンのような。。
そして、この様な方々は聴衆にとても人気がでます。カリスマ的にもなります。
多くの人々が持つ感情に近いものを持っていらっしゃるからです。

審査委員長のズィドロン先生(ブレハッチの先生)の配点は、
やはりノーブルでエレガントな清らかさ、詩情を聴いておられる様子。
彼女の門下のアリシマさんにもやはりそれは表れていて、
とても印象の良い爽やかな演奏であられました。


ショパンコンクールの審査は、きっと他のコンクールとは少し違うと思います。
ショパン自身が、稀有な人であったからです。

そして、スラブ圏のコンクールであるため、ラテン系の先生の元で勉強して来た方にとっては音楽的価値観が違うと感じる事もあるのではないかとも感じます。
スラブ系には、ある種の音色が存在します。
ユダヤ的な音とも言えるかもしれません。
それは歴史や国土が産み出す音でもあるのでしょう。
その音の表現だけで、人は瞬時に繋がったり信頼が生まれたりする、不思議な深い音です。
ポーランドの先生方のケイトさんへの信頼は、そんな音だと思います。

そんな訳で、コンクールは大きくラテン系とスラブ系に分かれる様に私には聞こえます。
どちらが素晴らしいというものでもなく、文化の違い。
それぞれ、自分にあった地域でコンクールを受けるのが良いのではないかと思います。


そして、ショパンは、誰かに勝つためや認められるために音楽をした人ではなく、
ただ音が美しいから、それに触れていると、心と体が幸せになるからピアノを奏でる、そんな人でした。
ですので演奏活動も数えるほどしかしていません。
彼の性格と大きな精神力の必要な「舞台」は、マッチしませんでした。

そんな訳で、ショパンを弾くには本当は「家で」が一番良く(笑)、
ショパンに同化しすぎては舞台では弾けず、
舞台で多くの人に届けるには少しリストのような性格をブレンドする必要があります。
そんな訳で、歴代の優勝者はそんな絶妙なバランスを保てる方々であり、
2位や3位の方々の演奏がむしろショパンに近い事が多いように感じています。


全ての音を1人で奏で、ハーモニー(調和)を作らなければならないピアノの世界が難しいのは、スポーツとは違う芸術であり、心を表現するものであるということだと思います。

「負けず嫌い」という心は、自分だけの幸せを願う心です。(「自分に」負けず嫌い、は別ですネ。)
人が負けて嬉しそう、そのような人といても居心地良く感じられないのと同じ様に、
人の幸せを喜ぶ心、人を負かさない心でいなければ、それはそのまま全て音に現れてしまいます。
表現しすぎてしまったり、心に寄り添うショパンのハーモニーに気付かず素通りしてしまうのです。
その想いを感じているかどうか、それは例えテクニックがクリアしていなくて表現しきれなくとも、音の端々に聴こえてくるものです。

音楽の目的が音楽である、
そのシンプルさ、素朴さを求められるのが、ショパンであり、
ショパンコンクールであり。
ショパンを弾くというのは、本当にいつも「思いやりとは何か」を考えさせられ、
音を出す為にどの様な人間として生きるのかを考えさせられます。

ですので、ショパンコンクールを通して、人間も音も変わるピアニストさんもおられます。
他のコンクールやスポーツとは少し違う、本当に素晴らしいコンクールだと感じます。


追記
そしてこちらは最終ラウンド(第4ステージだったかな?)のお話なので、
第一次予選はまた別のお話で、主要5大国際コンクールの一次予選では
もっと基礎的な所がしっかりと聴かれます。

各音や各和音にある優劣の関係性、その処理(解決)、そこから生まれるフレーズやセクションの構成、調の関係、全体構成、
どんなに情感豊かに演奏しようとも、その基礎がなければ主要国際コンクールの1次予選は通る事がない事は、審査からいつも伺えます。

またそれは学んでいない人には聞こえないものなので、これもよく賛否両論になってしまい、
「審査員の好み」などと言う結論に走られがちですが、そうではなく、
しっかりとした作曲理論のある聴き方で、
骨格にはどんな解釈もそもそもなく、軸は軸、揺るがないものです。
解釈は、その骨格の狭間で行われるものです。

実は長い間日本では足りていなかった音楽教育で、理論と演奏が切り離されていました。
最近の先生は、その辺をしっかりと弟子たちに教育するように励まれています。

音楽を聴いてカデンツァが解らなかったり、楽譜を見て調性判断ができなければ、
この演奏法は解っていない、習ってきていないことになります。
調は構成や表現にとって重要な要素であり、調が解るには和声(和声音と非和声音の区別)が解っているからです。
その非和声音と和声音の関係が自然な抑揚を生み、それらは感情などの“印象や感覚”で操作するものでない、そもそも作曲された際に提示されている抑揚になり、
それが積み重なって全体の構成も形作られるからです🌱

以上、レッスン中よく頂く質問です😊
上記の内容とは真逆なような、理論的な内容(笑)
有名国際コンクールの最終ラウンドは、それらを当たり前に踏まえた上での、
もっと超越したところでの演奏です😊


弾く側は、それはそれはもう、大きな重圧との闘いであり。
舞台上でできることもできないことも、全て1人で受け止めるのみ。
ピアニストは、どんなに応援して下さる方がいようとも、本当には1人です。

でも人間、皆そうかもしれませんね。😊

だからこそ音楽は、大勢いても1対1の世界で、
親密に心に響いてくるのでしょう。
そこで、人と繋がってゆく。


さて、今年はどうなるでしょうね。
ヤシンスキ先生ももう審査におられないので、
少し傾向は変わるかも知れませんね。
審査員が1人違うだけで、大切にされるもの、結果は変わるもの。はてさて。

ピアニストの視点その2はこちら

https://note.com/naokohayakawa/n/n3abc09a19e32

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?