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女性振付家の話。

今日は国際女性デー。

ダンスの世界は少しましかな、とは思いますがバレエの世界では振付家も圧倒的に男性社会が続いているのではないでしょうか。
「女性」振付家と言う言葉が普通に使われるくらいですから。
(芸術監督の女性の少なさも気づくとなかなか衝撃的なのですが、その話はまた改めて…)

では、最初の「女性振付家」は誰だったのでしょう。
初めて全編をトゥ・シューズで踊った『ラ・シルフィード』で知られるマリー・タリオーニ(1804~1884)が振付を手掛けてたことはあまり知られていません。

『蝶々』という作品を愛弟子と言われるエンマ・リヴリー(1842-1863)のために振付けています。彼女がそのまま振付家として活躍していたらダンサー→振付家というキャリアがもしかしたらもう少し当たり前になったのかもしれません。

ですが、かなしいことに『蝶々』で羽を焼かれる蝶々を踊ったエンマ・リヴリーはその後『ポルシチのおし娘』のリハーサル中にチュチュに火がついて大やけどを負い、何か月も苦しんだあと他界してしまったのです。まだ21歳、と若い非業の死でした。

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当時チュチュはコットン製。
照明に火を使っていた劇場では危険だと分かっていたので、防火液につける決まりがあったのですが、質感が損なわれるので従うダンサーは少なかったのです。

自分の後継者と思っていたエンマ・リヴリーが『蝶々』の主人公さながらの運命をたどったことで、マリー・タリオーニは自らを攻めたところもあったようです。二度と振付をしませんでした。

ですから、その後、名前が残る女性振付家はニジンスキーの妹、ブロニスラワ・ニジンスカ(1891~1972)まで時間が空いてしまうのです。

ニジンスカは昨日のclubhouseでラヴェルのお誕生日に関連して少しだけお話ししましたが、もっともっと評価されるべき重要な振付家です。

作品も生涯もとても面白いので、またご紹介していきたいと思います。


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