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『眠れる森の美女』1921年バージョンのデザイン。

ヨーロッパで初めて上演されたロシアの全幕バレエ作品は『眠れる森の美女』だったのは案外注目されないことかもしれません。

上演したのはセルジュ・ディアギレフが率いたバレエ・リュスでした。以後『眠れる森の美女』は上演されたロンドン(だけが全幕公演、他の都市では一部をディヴェルティスマンとして上演しています)でいかに愛されたか、大切に思われているかはその後に結成された英国ロイヤル・バレエ団が『眠れる森の美女』を数年に一度改定しつつ上演したり、英国ロイヤル・オペラ・ハウスの改装前の最後の公演の最期に『眠れる森の美女』の「リラの精」が眠りにつかせ、オープニングでは「リラの精」が眠りから起こすという演出をしたことでも分かるのではないでしょうか。
オープニングは出席することができたのですが、「リラの精」が起こす場面から始まる演出には本当に感激しました。何ともしゃれた演出ですよね☆

そんな演出も生み出した『眠れる森の美女』ですが、1921年のバレエ・リュス版はディアギレフが失われた祖国ロシア帝国の最高のバレエをヨーロッパに紹介しようと文字通り心血を注いだ作品でした。
バクストによる200枚以上のデザインによる絢爛豪華な衣裳、ロシアから亡命してきたニコライ・セルゲイエフが持ってきたオリジナルの舞踊記譜(ノーテーション)、そしてそれをニジンスキーの妹で振付家のブロニスラワ・ニジンスカがアレンジしたことで実現した公演でした。

後に画集として出版されたバクストのデザインは今見ても色あせない魅力がいっぱいです。

現在、新国立劇場の情報センターでは現在展示を開催中とのこと。
また、嬉しい事に下記オンラインで公開もしています。

pdfなので少し画像が荒いですが、全点まとめて見られるのは嬉しいですね。

展示の詳細はこちらにあります。

バレエ・リュスは1909~1929年だけ存在した世界初の私立のツアリング・カンパニーでした。率いたのではロシア人貴族セルジュ・ド・ディアギレフ(本名はセルゲイ・ジャーギレフ、フランス名は本人の名刺表記による)

そして、バレエ・リュスが解散したのはディアギレフの死によってでした。夏季休暇中のディアギレフの死によって10月からの予定されていたすべての公演が中止になったのです。
ディアギレフの存在なしには存在しえないカンパニーだったわけです。

バレエ・リュスは『牧神の午後』『春の祭典』と言った先鋭的な作品が注目されがちですが、重要なロシア帝室バレエの華である、『眠れる森の美女』は全幕もヨーロッパに紹介した功績も大きいのです。

そんなバレエ・リュス、今年は宝塚にも登場するとのこと、こちらもどのような姿になるか楽しみですね。

バレエ・リュスが少しでも多くの人に知られて欲しい!と願い続けています。

1921_BR_眠りハウスプログラム - コピー

これは展示に出品されている確認できていませんが、私の手元にある『眠れる森の美女』の際のハウス・プログラム。当日の配役などが入った簡易なプログラムです。「簡易」でこの華やかさなのがさすがですね。

上に入っているのは劇場名、アルハンブラは劇場名。1936年に取り壊され現在は残っていません。細かい歴史は下記にどうぞ。










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