ディアギレフ、ヴィスコンティ、トーマス・マン・・・さてつながりは?
昨日も登場したディアギレフ。
8月19日は彼の命日でした。
タイトルの3名、何となくイメージは繋がる、と感じられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
彼ら3人の共通点は「グラン・オテル・デ・バン・ドゥ・ラ・メール」@ヴェネツィア、リド、です。
ディアギレフにとっては夏のヴァカンスの定宿。彼にとっては革命により戻れなくなった祖国、セント・ペテルスブルグに近い水路の多い街でもあったようです。
ヴィスコンティはこのホテルを舞台にしてかの『ヴェニスに死す』を撮りました。部屋についた主人公アッシェンバッハが海辺が見える窓を開け、クローゼット型トランクを開け、妻の写真を飾る場面は忘れ難い場面です。
幼い頃このようなトランクでいつか旅をしたいと夢見たものです。
そして、トーマス・マン、彼もまたこのホテルを定宿にしていました。
そして『ヴェニスに死す』の原作者でもあります。
また、彼の『魔の山』の舞台はダボスのサナトリウム。バレエ・スエドワ主宰者として知られるロルフ・ド・マレは若き日に長らくダボスのサナトリウムで療養していましたが、その時の様子と『魔の山』を併せて読むとイメージが膨らみます。あの時代のサナトリウムが持っていたある種の特権的で、高踏的な雰囲気が生んだ作品や世界があったのだと感じます。
話を戻して、このオテル・デ・バン・ドゥ・ラ・メール、いつか泊まってみたいと思ったのですが、ホテルとしては2010年に廃業し、同年7月の新聞記事によれば数か月後にはレジデンスとして生まれ変わる予定だったようですが、現状は改装待ちのようです。Wikipediaには大きなフェンスに囲まれている状態と書かれていますが、Goolgeのストリートヴューを見るとただ閉まっている状態に見えます。建物は10年放置されていたとは思えないほど綺麗に見えますが実際はどうなのでしょうか。
いつかディアギレフが最期を過ごした部屋、アッシャンバッハ教授が着いた部屋から海を眺める事ができる日が来るでしょうか。
内装は変えずにと願ってしまいますが、それは望みすぎかもしれませんね。
ディアギレフの足跡をたどる旅もいつか必ず!!
ロルフ・ド・マレ自身というよりは、彼の仕事について、ですが下記のトーク9月1日開催です☆