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『ジゼル』は身分制度のもとに。
昨日、ジゼルについて触れましたが、身分制度を理解せずにバレエを見ると戸惑う場面が色々あるかもしれません。
そんな身分制度への戸惑いと無意識をあぶりだしたのはマシュー・ボーン版の『白鳥の湖』の面白さの一つだと思うのですが、日本では不思議なほどその点は注目を集めません。
もっぱら「男性が踊る白鳥」に集約されてしまっているのは実は個人的には不思議に思っています。その話はまた改めて…。
さて、ジゼルですが、今の視線からみたら、森番ヒラリオンは本当にジゼルの事が好きで、一生懸命なのにすごく嫌われて、さらにウィリたちに死ぬほど苦しくなるまで踊らされて沼に突き落とされて死ぬというただただ報われない気の毒な存在。
そんな彼の存在は最近の演出では母親にも好かれていて「いいヤツ」「不器用だけれど誠実にジゼルが好き」というキャラクターに変えられていますが、元々は身分の違いがベースにある役であり、演出でした。
つまり、狩り場の動物の殺傷に関わる存在である「森番」は社会的に地位が低く、そうした低い地位の人物だからジゼルが愛情を持てないという事もあったのです。つまり自身も貴族には社会的地位は自分たちより「下」と認定されるジゼルですが、自身も「下」に扱う相手がいたという構造です。
ちなみにアルブレヒトは以前は女好き遊び人貴族の「一時に気晴らし」という表現も散見されましたが、最近は許婚はいるけれど本気で恋してしまったとう役作りが多いのも時代の変化かもしれませんね。
良い悪いは別としてヨーロッパ文化を考える時にこの身分差の問題(『ノートルダム・ド・パリ』⇒ミュージカル、アニメ『ノートルダムの鐘』等でも)そしてキリスト教は避けて通れない問題です。
(ヘッダーは1910年のアレクサンドル・ブノワによる『ジゼル』1幕の美術デザインです)
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