パンが好きな父、ワンピースを作る母
今日もいつものように両親の入浴介助の為実家へ行く。今年92歳の父は一人で入るので、入浴の準備だけ、今年91歳の母は車椅子なので風呂の中まで入り介助する。仕事柄慣れているのがありがたい。職業選択を正しくできたと思う今日この頃だ。
お風呂の後は洗濯、そして昼食だ。お弁当の宅配を頼んでいるので夜と朝はそれを食べている。昼食はパンなのでまとめ買いをして持っていく。今回は黒糖蒸しパン、どら焼き、カステラ、ダブルクリームパン、卵サンド。スーパーの握り寿司も買っていく。
父はいつもパンだけ食べて、母は握り寿司。そして父に言うんだ。「一人でお寿司を食べても美味しく無い。あんたも食べんね」父はパンが好きで食べてるから「うるさい!好きなもん食べてるんやから黙っとけ」このくだりはいつものことで、決して喧嘩してるわけでもないんだけど。
「お父さんはいつからパンが好きなの?」と聞くと、5歳の頃からだと言う。近所にパン屋さんがあって買いに行ったと言うんだ。「そんな小さい子どもがお金を持ってたの?!」そう問うと、父は笑いながら言ったんだ。
「家で作ってる麦を持っていったらパンと交換してくれたっさ。10個もくれたとよ」「えぇっ!10個も!っていうか家の麦を持っていって怒られなかったの?」「ははっ、こそっと持っていくからなぁ。姉たちもそうしよったから、自然と覚えたとぞ」と大口開けて笑う。
それにしても10個とは!「そんな10個も持って帰ったら他の兄弟に見つからなかった?見つかったら取られるでしょう?」「パン屋に預かってもらってたからな、毎日取りに行くと。ははっ、いくらなんでも10個は食べ切れんやろう」なるほどというか、なんだかザ・昭和初期って感じ。
話は弾んで、近所の映画館にもよく行ってたと昔話が始まる。映画館の便所の換気窓(足元にあって人がギリギリ入れる大きさだったらしい)から、入り込みただで観ていたって!無銭飲食、いや、無銭映画やん!!終戦後の混沌としたある意味ゆるい時代、近所の悪ガキと楽しんでいたというのだ。
それを聞いて母が言うのは、倫理的苦情ではなく「よかねー、私は休みが少なかったし、畑仕事してもお小遣いも貰わんかったから映画館もあんまり行けんかった」と言う始末。母は農家の長女で、昼休みも地下足袋を脱ぐ暇もなく、ちゃっちゃっと食べて畑仕事に繰り出されたと語り出す。
「昼間に家の掃除や裁縫をしていたら怒られよったよ、そんなのは夜せろって、ずっと畑仕事ばかりさ。あんまりやから服を買いたいからお小遣いをくれんねって妹と一緒に言ったら、米俵一俵くれたっさ。それを売って二人で分けろってさ。近所のヤマトさんのところに持っていって、桃色の布と交換してもらったと。そして、ようやく夜に二人でワンピースを作ったとよ」
あまりにも私の幼少の頃の時代とかけ離れていて、ジェネレーションギャップを今更ながら感じたよ。昔は若い母親が多かったから、30代後半で産まれた私は世間と両親の常識のギャップをひしひしと感じていたもの。だから、私には手作りのワンピースばかりで、Tシャツやジーパンなんて買ってくれなかったのね。服は作る物、子どもにお金は最小限しか渡さない、納得。
父の実家は兄が戦死していて、次は父が取られるかも、とばあちゃんは思ったようだ。可哀想で切なくて、それで結構甘やかされて育てられたらしい。そういうばあちゃんの気持ちは今、痛いほどわかるな。絶対嫌だもの、死ぬのが分かっていて兵隊に出すなんて。独立しただけでも寂しいのにね。
そういう両家の違いがあり、父は楽天家で、母は愚痴っぽい性格が形成されたってわけ。父の話は明るくて話していて楽しい。母は愚痴っぽいから当たり障りない話題しか話したくない。母は幼少の頃の体験が消化されて無いんだろうか?まあ、私にも心当たりは無きにしもあらずだけどね。
母は今日も今日とて愚痴を言う。ヘルパーさんに毎朝ポータブルトイレを掃除に来てもらっているけど、早すぎて(9時に来てくれる)朝5時に起きないと朝ご飯や片付けが終わらない、ゆっくりできんって私に愚痴る。いやいや片付けもお願い出来るからと言っても「自分でする!」とまるで2歳児並みの自分で!なんだ。しょうがないね、そう擦り込まれて育ったんだもの。
でも、昔話ってなんだか面白い。両親の記憶は個人の物だけでなく、その当時の時代の匂いがするから。特に戦争を体験した貴重な話は、きっともう体験出来ない、いや、したくない時代の残り香だもの。継承しなきゃってDNAが騒いでる気がするんだ。
これからも、少しずつ昔話を聞いていきたいって思ったよ。年配者の話を聞くのって仕事柄慣れているのでありがたい。やっぱり、職業選択を正しくできたと思いガッツポーズをしちゃう今日この頃だ。