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風物詩は駅舎で消えるんだ

 古いアルバムの中に、若かりし頃の両親の姿があった。叔父さんの髪もふさふさしていている。幼い私は両親のそばにちょこんと座っている。その写真が実家のこたつの上にあったのは、最近ふたりで見たのだろう。十月、空へ旅立った叔父さんが、懐かしい顔で笑っている。


 毎年、お盆に集まるのが田舎の慣わしだった。幼い私は従姉妹に会えるのが楽しみで、父は弟と酒を酌み交わすのが楽しみだった。母や叔母さんら女性達は料理を運んだり片付けをしたり、足りなくなったお酒を持って行ったり忙しかったはず。それでも女性達も久しぶりの再会に笑い声が溢れてた。

 父は酔うと水戸黄門ばりの高笑いをしていた。酒癖が悪い部類に入るだろう。それでも、叔父さんとは夜中まで語り合い、時には大声を出して、かと思えば肩を抱き合い、子どもの目にも仲の良い兄弟だと分かった。

 子ども達はトランプをしたり、廊下で卓球もどきをしたり、マンガ本を読んだり。夜は畑に蛍を見に行ったり、花火で盛り上がっていた。パラシュートが出て来る花火が特に好きだった。従姉妹みんなで落ちてくるパラシュートを取り合う、そんなワクワクはここでしか味わえなかったから。

 朝には宇宙戦艦ヤマトのアニメが流れていた。三人家族の我が家とは違う賑やかな食卓で、いつもと違うテレビコマーシャルにお盆らしさを感じていた。冷蔵庫の中にはジュースが入っていて「いつでも飲んで良いよ」って言われていた。それでも、自分から飲み食いする事は出来なかった。従姉妹はやっぱり従姉妹で、憧れの姉妹にはなり得なかった。



 当たり前の時間の流れ。夏の風物詩。真に人生を生きる前の、幼少時代の固定された記憶。



 今日は実家へ行って両親のお風呂入れ、買い物、洗濯をした。母が車椅子になって以来、週2回実家へ通うのも日常生活の一部になってきている。今は立ち上がることさえやっと、ひとりでは外出も出来ないふたり。

 お風呂上がりに父は一口お酒を飲む。何十年も飲酒しているから、身体の為には辞めた方が良いのだろう。それでもお酒を飲んで、タバコを吸う父は、元気だった頃からの地続きの父のようで、それを辞めたら継続してきた人生が終わる気がするんだ。

 一日一杯のお酒、テレビの時代劇を朝から晩まで観て、母の愚痴すら子守唄代わりに受け入れる父の日常。お盆の風物詩がずっと続かなかったように、高齢の夫婦は吹けば飛ぶような日常生活をそっと暮らしているんだ。

 人生は列車の様なもので、誰かといつまでも一緒に乗り続ける事はできない。動き出した頃は駅を通過するたび、ひとり増え、また一人乗り込んでくるけれど、終点に近づくたび、ひとり、またひとりと降りていく。通過する駅舎を眺めながら、立ち去った人に手を振るだけなんだ。

 だから、毎日の生活の中での一コマが、特別ではない日常の中の一杯が大事なのだろう。いつまでも隣にはいられないから。父と叔父が当たり前のように飲んでいた一杯と、今、お風呂上がりに飲む一口は、どれも地続きの記憶の塊となる。それって、なんて幸せなこと!

 記憶の中の愛しい人と飲む一杯、そんな飲み方があっても構わないよね。





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