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失われた日常の先の明日に

気づけば19時32分、夕飯も作らず眠っていた。今日は夜勤明け、自宅で緊張が解けたのだろう。録画した番組を見ながら寝落ちするという、何て贅沢な時間だろう。

ぐっすり寝ている間、途切れ途切れに夢を見た。昔の自分の写真を見てたり友人が自殺する夢。夢占いで調べてみたら何のことはない、ザックリ言うとストレスがたまっているようだ。

一昨日泊まった実家で目を覚まし、ショートステイへ行く母の準備をして我が家に戻る。数時間睡眠を取った後、職場へ。夕方から今日の朝にかけて夜勤だ。


いつもより静かな夜勤だっただろう。それでも点滴を引き抜いたおばあちゃんの着替えをしたり、認知症のおじいちゃんが2度失禁をし、着替えとシーツを全替えしたり。

その後もおじいちゃんは下半身裸で廊下をウロウロして、何度服をきせても、部屋に戻しても形状記憶のワイシャツのように同じ行動を繰り返す。それでも怒声が無かっただけでも良しとするか。女性相手には横柄に見下してくる人も多いから。


20年近く前、ヘルパーの取得を取るため勉強を始めた。教科書に書かれてある内容は衝撃だった。男性の精器の図解があり、清拭の仕方を細かく描写してあったのだ。

それを見たのがバスの中、周りの人達と生きる場所が違っちゃった、そんな感覚だったが、大袈裟だなぁと、今は思う。世の中の看護師さんや介護士さんは当たり前にやっているもの。そうして私の日常は事務系の仕事から患者さんの身の回りのお世話をする仕事に変わっていった。そう、人って案外馴れちゃうんだ。

子育てが大きく役に立ったと思う。人は思い通りにはならないし、待つことも必要だ。しつこい患者さんにイライラしても、幼い頃の子どもの姿に重なり、可愛く見えたりする。いつもそうだと限らないけど(笑)。


夜勤の間、食事介助や後片付けをしながら、母の施設での生活を思った。入居者の方もスタッフさんもいろんな方がいるだろう。合う人合わない人がいて当然だ。それでも、自分らしくもわがままは最小限に馴染んでいけば周りの人は優しくしてくれる。拒否すればする程水に浮いた油みたいになるんだよ。ちゃんと出来るのだろうか?

ショートステイは一年のうち半年くらいしか泊まれないらしい。残りの半年実家泊まりは厳しい。一人っ子の私に何かあれば両親を見てくれる人はいないのだ。怪我も病気も出来ない。もしも私がコロナにでもなれば、濃厚接触者の両親は介護サービスは受けれないし、夫婦ふたりで共倒れだ。

夜勤明け、慣れない実家明けだから弱気になってるのかな?いや…実家での生活が綱渡りなのが問題なんだ。同居は難しい。どう考えても母は近い将来施設に入居し、月数日自宅にお泊まりという生活になるだろう。


最初の意気込みはどうしたんだ?!

自宅で看取るんじゃ無かったのか?!

自問自答を繰り返す。


失われた日常を取り戻す事だけに目標を定めると、苦しさを伴うんだ。


身体機能が不充分な母の生活の場は施設が良いのだろう。自宅は日常生活の場ではなくて大切な宝物がある場所、日常の疲れを癒す場所、おもてなしされる場所へと変わり「 またおこしやす 」と、母を待っている場所へと純化、特化するのだ。


昔の事を考えるよりも今の生活を生きよう。この瞬間を自分のものにする覚悟が人生を輝やかせる秘訣だから。


ただ、母がそう思ってくれるのか、自分がその立場になって同じ事が言えるのか、わからない。






それでも明日は明日の風が吹くのだ。













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