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最終章への助走はケアマネさんと共に
いつも優しいケアマネさんが声を詰まらせ驚いている。
「 えっ!ショートステイもリハビリも辞めるんですか?! 」
1月に圧迫骨折で入院、そして老健へ入所、いまはショートステイと自宅で過ごせるようになった母が、来月から自宅だけで父とふたり老々ステイホームとなればそりゃ心配するでしょう。
ケアマネさんは少しでも長く生きてほしくてリスクが少ない方法を提示して下さる。私も同じ意見だったけど、家に居たい、父と暮らしたいと、鉄の女の意思は変わらない。
昨日から今日にかけて、トイレもひとりでどうにかしていたし、それなら私の過剰な出番もない。
ヘルパーさんに基本毎日来ていただき、週一で訪問リハビリ、月一で訪問看護と手配して下さる事になった。
良い時代になったものだ。
遠い昔、小学校の頃、同級生の家には開けたらいけない部屋があった。同居するおじいちゃんの部屋だと、ご飯も一緒には食べていないらしいと母は秘密を口にするよう囁いた。
家族でみる、そうはいっても奥さんと呼ばれる人がお世話するのが当たり前。子育てから介護までワンオペで自由がなかった時代。
よく昔は良かったと言うけれど、私は今が良い。
幼少の記憶である。
市場では味噌や魚が裸でどーんと並び、天井からはハエ取り紙に絡めとられバタついている虫があちこちでもがいていた。
友達の家ではその娘の飼っていた鶏がチキンとなって焼かれているのを目撃した。立ち昇る白い煙と料理されていく臭いは、今も記憶に残っている。
地域での集まりでは男性が飲めや歌えの大宴会で、女性は台所で片付けしながらご飯を食べていた。そして時々お酌だ。
どれもこれも当時はそんなものかと気にしなかったけれど、今だと脚の長さが微妙にズレてる椅子に座ったように居心地が悪い。
虫がいないスーパーで、パックされた鶏を買い、宴会は店でやり、上げ膳据え膳食べ放題飲み放題だ。
本当に今の時代に感謝したい。
明日から母のショートステイ最後の五日間が始まる。
これから夫婦安泰の第二章が始まるのか、それとも最終章へ向かって走っているのか?
「 訪問リハビリはお父さまに来てもらっている方に頼んでみましょう。慣れてる人が安心でしょうから 。出来る限りお母さまの納得する生活を送れるよう、頑張っていきましょう 」
ケアマネさんの笑顔と言葉に硬くなっていた心がほぐれていく。
ひとりで全てを背負わなくっても良いんだ。
介護に絡め取られてもがかなくても良いんだ。
相談出来る人に出会えて良かった、心からそう思う。
不安というトンネルを抜けたら青空が広がっていた。
もう少し遠くまで飛べそうな、そんな気がした。