実家にて 〜 唐突に終わるその日まで 〜

 今日も暑くてビールが美味い!そう思える日常に感謝なのだ。ビヤガーデンに行かなくっても、家庭内ソーシャルディスタンスで、ひとりご飯だとしても、ありあわせのおかずとビールで満たされて、心穏やかである。



 今年は1月から母(89歳)が圧迫骨折で入院して、3月に老健へ入所。そこを6月に退院してショートステイと自宅で1ヶ月過ごし、7月からようやくずっと自宅で過ごせるようになったのだ。

 目まぐるしい日々は体力と時間を奪い、コロナという異常事態が輪をかけて精神的負担を増殖させた。どこまで支えるのが良いのか?ひとりっ子の私が倒れたら元も子もない、と自分に言い訳をしながら、だんだんと実家と距離を取っていった。

 歩行器と車椅子がなければ移動出来ない母は、それでも父(90歳)の事が心配で、冷蔵庫を開けて魚を焼いたりする。おいおい、怖すぎだよ。倒れたらジ ・エンドでしょう。やめてよ、と言う私に、今度はピーマンと玉ねぎを炒めたいと言ってのける。

 母方の祖母も似たような性格で、80歳過ぎても自分家の畑の野菜を取りに行っていた。そこでひっくり返って大往生という経歴の持ち主。お別れした時の顔はまだ生きているようで、失敗してこけちゃったわ〜ってそんな表情をしていた。

 私は泊まり込みをやめて、毎日のように行くのをやめて、今ではヘルパーさんに毎日来て頂き、ポータブルトイレや食器の後片付けをお願いしている。父のヘルパーさんは週2回お掃除。訪問リハビリと訪問看護の方にも週1回来て頂き、私は洗濯、買い物、入浴介助に週2回。

 退院したては母とも凄い喧嘩をして、自己嫌悪とも湧き上がる怒りとも言える感情に振り回されたが、それも無くなった。同居するのが当たり前のひと昔前と違って、色々な介護サービスを受けれる今に感謝している。

 



 勤めている病院では、大往生が近い患者さんがいて、植物が萎れていくように弱っていっている。94歳になるその方は、笑顔が素敵な可愛らしいおばあちゃん。点滴も入らなくなって、寝返りどころか目ももう開けてくれない。それでもちょっと息苦しい呼吸と普通の呼吸を繰り返し、懸命に生きている。

 彼女の命の炎はゆらゆら揺れて、みている職員もかわるがわる声をかけて手のひらの温もりを確認する。病棟を移動した職員さえも声をかけにくる。シーンとしたその場所は幽玄そのもの。穏やかで静かな時間。見取りってこういう事を言うんだな。

 でも、両親がそんな状態になっても、家では診てやれない。働かなくては生活出来ないのだ。ずっと一緒にいるのは無理なんだ。今はふたり、最後の力をふり絞って自宅で自分たちの人生を過ごしているけど、いつか、終わりを告げる。…それは、自分たちの遠くない未来でもあるんだろう。



 明日も実家で半日を過ごす。去年までは考えられなかった生活パターンにも、ようやく慣れてきた。そんな日常が、いつか唐突に終わるその日まで、1日一杯のビールを楽しみに、今いる場所に感謝しながら生きていこう。穏やかに、懸命に。



 


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