
バス停の先に見える景色
「出来ると思ってたけど、何にも出来ない」
一時間前にはずっと家にいると宣言した母はパンツもきちんと上げれず、よっちらこっちら歩きながらため息をつく。
来月からショートステイは行かない、家で出来ることをゆっくりやりたい、そう言い張るが、実際どうなんだろうね。
ショートステイだと自分が自分で無くなるもどかしさ、家では己の身体に責任をもつ事への不安感で揺れているんだろう。
その度にケアマネさんに変更をお願いして ( 明日のリハビリもまた行かないと言い出した ) あっちもこっちもグルグル振り回される。
出来ない事は出来ない、これやって、お願いね~(^-^) 笑顔でそう言ってくれさえすれば私も喜んで手伝うのに。
自分で出来ると言い張ったあげく、やっぱり無理だ痛い痛いと繰り返す。まるでエンドレスレインだ。
「私がずっと施設に入っていたらお金がいるのよね」と母。
「それがどうした」と父。
たぶん、父に施設に入っても大丈夫だとの印籠を渡して欲しいのだ。
実家へいく途中バス停にいると、お母さんと園児がバスから降りてくるのが見えた。
お母さんは幼稚園バックを子どもに渡そうとするけれど、子どもはさっさとひとりで道を歩いていく。
ついこの前まで泣きながら幼稚園に行き始めたであろう小さな子どもは、あっという間に自分の世界を持ち始める。
そうやって少しずつ手を離れ、生きる場所を離れ、遠くへ行くのだ。
20年前の姿が淡く目に浮かぶ。子ども達と手を繋ぎ賑やかな毎日を暮らしていたあの頃。
商店街や図書室、学校など、一緒に過ごした場所はいつでも側にあるのに、登場人物だけがもういない。
まるでかつての恋人と過ごした場所を通るたび、胸の隙間に冷たい雨が染み入るような失恋の痛みに、どこか似ている。
それでも人はバスに乗り、また、乗りそこね、そして見送り、それぞれの場所で自分の人生を生きていく。
後ろで呼び止められたからといって、振り帰ってばかりはいられない。
元いた場所にこだわり、前のような暮らしを夢見る事はもう、辞めよう。
母の生活は確かに母のものであって、私は一緒の場所にとどまる事は出来ない。
母が家での生活にギブアップする日が、施設入所の始まりになるのだろう。
夫婦ふたりで暮らす最後の数年、いや数ヶ月、もしかしたら数日…
守るべきものは過去ではなくて、バス停の先にある未来なのだ。
それが新たな場所への旅立ちだとしても…
色鮮やかに結婚という旅立ちをした娘を見送る嬉しさと淋しさ。
彼女の幼い頃の愛しくてキラキラ光る想い出を胸に抱きしめながら
私は未来行きのバスに乗る。