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夏の記憶

 遮光カーテンの隙間から光が射し込んでくる。窓を開けると曇天の空。騒がしいセミの鳴き声が聞こえてきた。そうだ、今日は墓掃除をする日だった。アラームは何度も止められ、すでに午前8時を回っていた。

 降りそうで降らない、良い案配の空模様。日焼けに悩まされる事もなく、墓掃除ができるだろう。簡単な朝食を取り、バスに乗って実家へと向かう。窓側の座席に座ると、丸い冷房の吹き出し口から、風が直接当たる。肌寒さを感じながら、外のじんわりとした蒸し暑さを思う。


 「ちゃんと墓掃除に来てくれたのね」と母。昨日なら、暑くて堪らなかっただろう午前9時。ゴミ袋とポリタンクに汲んだ水、お線香、ろうそく、マッチ、を用意し、首にはタオル、バックには500mlのお茶と買ってきた花を入れてお墓へ向かう。実家から徒歩15分、車が通らない細い道を登って行く。片側は石垣、逆側は草がぼうぼうと茂っている、元、畑らしきもの。


 この道には、ひとつの記憶が眠っている。小学校高学年の頃、ひとつ年下の女の子と、この道を歩いた。私の父は大工で、その子のお父さんは父の相方の大工さん。私は初めて家に来たその子と、父に頼まれた買い物をしに行った。みんなで飲むジュースだったと思う。家ではぎこちなかったが、その子と外へ出ると、何かが弾けた。

 坂道や階段を、わけもなく走る爽快感。真夏の空は青く、運動靴は何処までも私たちを運んでくれた。大工の娘という、周りにはあまりいないカテゴリー中のふたり、仲良くなれそうな気がした。そんなワクワクした気分の帰り道、どちらかがお釣りの50円を道に落としてしまったのだ。

 「あーどうしよう!お釣り返さないといけないのにね」「取ったと思われたら嫌だなぁ、もう一度探そう!」落とした先は、ぼうぼうの草むらの中。とても奥の方まで足を踏み入れられない。今思えば、たかが50円、でもあの頃の私達にはされど50円。その後の展開は覚えていない。ただ、友達になれそうな淡い気持ちと、50円をふたりで探した記憶だけが残っている。

 その後その子と会う事はなかった。それでも何処の高校に行ったとか、働き出したとか、父からよく聞いていた。そして、20代初めに交通事故で亡くなったという事も。それから10数年後、その子のお父さんも病気で亡くなった。引退していた父は、かつての相棒に永遠のお別れを言いに行った。



 墓の隅には枯れ葉が溜まっていた。ほうきでそれを取り、墓の脇に茂っているペンペン草などを刈り取る。下を向いた私の背中に、水滴が落ちてきた。地面にも水玉模様の雨の証が広がって、途方に暮れる。傘、置いてきちゃった。濡れても死ぬわけでもないし、とりあえず掃除の続きをしようか。

 ジーパンから伝わる雨の感触が3割くらいになったとき、不意に雨は止んだ。お墓に綺麗な水をかけ、花とお線香を供えた。この中に眠る、産まれてすぐ死んだ兄に手を合わせる。ちょっと見えてきた晴れ間と、雨上がりの涼しい風が私を包み込んだ。遠くでセミの鳴き声が聞こえた。



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