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ゼロから始める
恵比寿で開業してから今年で15年を迎えることが出来ましたが
たぶん、私の企業時のお話しって相当びっくりされると思うんです
普通、整体とかで独立するって
まず、経験値がかなりあって、顧客もついていて、起業資金も貯まって
みたいな状況で独立すると思うんですよね
でも、起業時の私にはこれら何一つ無かったんです
半年ぐらい中国の先生に中医学のイロハのイぐらいを教わり
実際に施術した人数は、その教わった中国の先生のところで20~30人くらい
ほぼ経験値、ナシ。知識もナシ。
そしてもちろん顧客もナシ。
極めつけは資金もゼロ。
この状況で起業をする!と決めたんです。。。
今振り返っても、無謀としか言い様がないというかね^^;
そんな状況で起業することを何で決めたかというと
私には起業をする理由があったというか
選択肢がそれしかない!と思い込んでいたし
な~ンにもない、そんな状況下でも
やらない理由の方がその当時の私には見つからなかったのです
その起業した理由からおはなししていきたいと思います。
ちょっと長いですが
ご興味持っていただけたら
この先を読んでみてくださると嬉しいです(^-^)
↓
私は前職は管理栄養士として企業で働いていました
ストレスと過労でか、ある日、職場で倒れてしまい救急車で運ばれたら
肝臓の値が800とか(通常は50以下)に跳ね上がってしまっていて
即入院。薬も使えず、点滴の管にも反応して腕が真っ赤になってしまったため、何にも出来ないのに検査のために入院すること3週間
結局、全ての肝炎の検査をしても何も引っかからずで
肝機能障害という名前がつ来ましたが
その間の入院中の食事で人生が変わりました
頭では知識で分かっているンですが
いわゆる「肝臓病食」が処方されて出て
でも一切、食べたくなかったんですね
かろうじて食べたいと思えたのが
スイカと豆腐
今となれば、その理由は分かりますが
当時の私には
どうして食べたくなかったのか
なんなら気持ち悪くさえなったので
それが分かりませんでした
と同時に、それまで管理栄養士として
人を元気にしたいという思いで活動してきたのに
そもそも、食べることが出来ない人には出来ることが何もない
ということを思い知ったというか
そして
肝臓病の人にはこういう処方
と思っていたことが全く通用しなかたわけで
私の中には、あれ???という疑問だらけ(*_*)
そして、これまでコウだと思ってきたことは
ほんの一部でしかなくて
世界は狭い世界でしか見えていなかったのかも!
と気がついたんです
それまで
身体は食べたもので出来ていると思っていましたし
栄養学は病気になる前の予防医学としてもとても重要なこと!と思ってきましたが、もしかしたらそういうことだけではない何かがまだまだあるのではないかなと気がついたというか
で単純に西洋医学からの観点以外→東洋医学からの観点を学ぼう!
と思い、退院後、退職をしました(*^_^*)
たまたま、栄養士の現場で出会った中国の方のダンナ様が中医学の先生だったこともあり退職して、その方から学ぶことをし始めたんです
ちょうど、その頃、母が舌癌の疑いが出たんで
病院に付き添いで行ったんです
で、その時に言われたことが
「まだ、癌になっていないから何も出来ることはないので様子を見ましょう」
一見、普通の表現に聞こえますよね
お医者様も当たり前のことのように伝えてくれたのだと思います
でも、その時の私には、その言葉が疑問でしかなかったんです
だって、まだ癌になっていないのなら
今の時点で起きていることの理由や状況が全く分からないし
この先に癌になる要素があるのなら、何故今の時点で出来ることを伝えてくれないのかな
とか思ったんですよね
でも考えてみたら、起きてしまったことに対処をするのが西洋医学の観点
身体の中で、なんでその状況が起きているのか?ということよりも
今の身体はこんな状況で、この状況だとこういう事になる可能性があるので
こう対処して対策していこう。という考え方での見方で診るのが西洋医学の観点なわけなので
私が持った疑問を持つことすら?な状況なんです。
でも、この時点では私と母の行動は疑問を持ちながらも変えることをしませんでした
そこまで切羽詰まっている感覚が無かったというか、そのまま日常に流されました
で3回目の受診で
「やっと癌になったから手術しましょう」「初期に発見できて良かったですね!」という言葉に流されサクッと手術をし
日常が戻ったように感じてました
それから1年半たった頃
母の顎の下が膨れてきて、、それまで1ヶ月に1度の検診を受けていたので
1度目の舌がんの場所と近かったこともあり
私は何だか気になったので一緒に受診についていきました
その時に、また「まだ、癌になっていないから、癌に当たっていないから」という言葉を耳しハッとした!
まただ!!
で母にこれは、おかしいと思うということを伝えたものの
じゃあどうすれば良いのか分からない。何が起きていてどうなっているのか
どうしたらよいか見当もつかない訳です
そうこうしているうちに母の顎の下はどんどん大きくなり
4度目の受診時に「やっと癌に当たったから手術しましょう!」と言われました。
聞くと手術の内容は顎の骨を外して癌を切り取って顎の骨を戻す
といった大がかりな手術になるとのこと、しかも既にステージ4。成功率も高くないですとのことを言い渡されて・・・・
そこで初めて目が覚め・・ました。。。
となりで母が泣いているわけです
「そんな手術はしたくない。。でもどうしたら。..私の人生54で終わるの?やっと、おばあさんもおじいさんも見送って、やっと、やっとこれから自分の人生をって思ったばっかりだったのに。。。こんなことって。。」
って泣いている母に私は
なんて声をかけたらよいかわからなかったです
隣で父もおろおろしているし^^;
必死で
私がなんとかするから!大丈夫だから!と言ったものの
その当時はパソコンも普及したて、ネット環境なんてものもないし
本屋に行っても売っている本に書いてあることは一般的なことしか書いていない、しかも癌の出来ている場所が「口腔底」そんなマイナーな場所の事なんて専門誌でも詳しく書いていないわけです。
調べる術なんて見当もつかない
おっ先、真っ暗。絶望感。
生まれて初めて味わいました
でも、とにかくね
私が感じた疑問はヒントだと思ったんです
必ず、私の感じた疑問の答えは見つかるはず!!
そう思って、その抱いた疑問を掘り下げていくことを
ひたすらしていきました
そんな時に知り合いの癌病棟の看護師さんと話す機会があって
癌が出来る場所の違いというかで性格が違う。
例えば、乳がん病棟の患者さんは~な性格の人が多いとか
体温が~な人が多いとか
こんな体型の人が多いとか
それが何に繋がるか、当時は全く想像も出来ませんでしたが
それを聞いたときね、なんか光が見えた気がしたんです
そんなこんなしている時に
西洋医学のお医者様なのですが、世田谷のご自宅で免疫力を上げるクリニックをされている方とご縁をいただけお話を伺いに行きました
その先生は
がん細胞も自分の細胞。自分の子どもで考えたら非行に走った子どもだと
思ってくださいとのこと
非行に走った子どもに対して、しかったり厳しくしたり、ましてや縁を切るとかしても逆効果でしょう?暖めて包み込んであげることが必要なんです
がん細胞に対してもそうで
がん細胞を切り捨てる手術とか攻撃する放射線治療とか抗がん剤とかって逆効果なんです。暖めてあげること。これがとても重要。そうすると免疫力が上がって自然とがん細胞は本の細胞に戻るんです。
という考え方でした
当時の私にはこの考え方がとても響いたんですよね
どこが響いたかというと
細胞は自分の力で戻ることが出来る
という点。その方法を教えてもらえた。そう感じました。
真っ暗だった暗闇に光が差した
そこから世田谷の先生にお世話になりながら
癌についての新たな考え方を学んでいったわけですが
そこで思ったのが
とどのつまりは、、、身体を温めること。巡りをよくすること。
でもね
栃木の田舎から世田谷まで通っていたわけですが
母の癌が出来ていたところは顎の下。神経がたくさん張り巡っている箇所でがん細胞が神経を巻き込んでいたからか始終顎の下が痛かったんです。ちょっとの揺れでも激痛が走る。父が来るまでそ~っとなるべく揺れないように運転をして2時間ちょっとかけて世田谷まで連れて行きクリニックで免疫をあげる為の色々な施術を受ける。もちろん保険診療外なわけです。一度入院して集中してケアしましょうとなり2週間入院しましたが2週間で200万。。。65過ぎの父には荷が重い。続かないんですよね。体力も金銭面的にも。もちろん私も会社も辞めていましたし、付き添いは出来ても金銭的な補助は出来っこなかった。。。
あのね、その時、ものすごく悔しかった
2週間の入院でのケアでも、母のがん細胞が小さくなって活性が収まってきているのがわかったので
目の前にこれ!という方法があって、でも出来ない
なんだこれ??って思いました。
やっと、やっっと見つけたのに!!
こういう施設、世田谷まで来なければ受けられない??
しかも癌になってからではかかる費用も莫大なわけじゃん!!
っていうか
あっためる。巡りをよくする。免疫が上がる
こんな簡単な、日々出来るだろう事が、なんで一般的に広まっていないんだろうか!!
一般的に広まっていれば、リーズナブルに受けれる施設もたくさん出てくるのだろうし、こんな思いすることなんてないんじゃないかな!
とかの思いがこみ上げて
もう悔しくてね
っていうか、同じ思いしている人全国にいるのでは?
むしろ、こんな思いをしなくてすむ世の中を作れないかな??
と考えるようになったんです
こうなったら、私の中で
やることは一つでした
私が広めよう!!!!!
どちらにしても、母もケアする場所が必要になるし
地元にも無理なく受けれる場所をつくれたら良いし
(この時点で母が死ぬことは想定になかったので)
全国に広めるのならば、本店は東京の恵比寿かな
そんな思いで起業に至りました
ちょっと長くなったので^^;
一端このあたりで
ここまでが起業に至った経緯です(^-^)