女の愛と自立の生涯〜【Opera】新国立劇場『ルチア』
ジャン=ルイ・グリンダ演出の新国立劇場『ルチア』(2017年初演)は「海」が重要なモティーフとなっている。幕開き、岩場に波が砕け散る様子がプロジェクション・マッピングで描かれるが、そのリアルな情景に目を奪われる。この物語がスコットランドの海岸、陰鬱で雲に覆われたある種閉鎖的な世界を舞台に繰り広げられるということを最初に印象づける。オペラの舞台は16世紀末だが、演出家が指摘するように、ウォルター・スコットの原作、そしてドニゼッティの音楽は非常に「19世紀的」な特徴を備えている。19世紀的とはすなわちロマン主義の時代であり、人間の内面、その個人的な苦悩や愛、そして死や神秘的なものへの憧れに着目した時代である。グリンダ演出も、タイトルロールのルチアという女性の内面をクローズアップしたものだ。
第1幕、エドガルドに会うため海岸にせり出す岩場(その影に「呪いの泉」がある)にやってくるルチアは、乗馬服にブーツという出立ち。それはまるで、「男装の麗人」ともてはやされショパンと恋に落ちた19世紀きってのロマン主義的女性であるジョルジュ・サンドを思わせる。サンドの男装は女性の自立の象徴であり、家よりも自分の恋愛に生きようとするルチアもまた、自立した意志のある魅力的な女性として描かれている。この時のルチアは確かに「運命に翻弄される弱々しい悲劇の女性」ではない。しかし第2幕で、兄エンリーコからエドガルドが他の女性に心をうつしたという偽の手紙を見せられ、家のために兄の命ずる結婚を承諾したとき、ルチアはその男装を解かれ、舞台上で白いドレスに着替えさせられる。自らの存在がよって立つところの「愛」を剥奪されたことで女性が封建的な制度の中へと引き戻されてしまうということが、生々しくも見事に表現された場面だった。
愛を奪われ自立を阻害されたルチアが精神を崩壊させてしまう第3幕は、だから必然であるのだ。これまで『ルチア』というオペラは、この時代に流行した「狂乱の場」でソプラノの技巧を堪能する作品、という捉え方をされがちで、ルチアの「狂乱」がこれほど説得力を持って描かれた舞台にはなかなかお目にかかれなかった。だが考えてみればドニゼッティもショパンの同時代人であり、彼が描こうとしたものが単なる「美しい声を楽しむだけの作品」であるはずがない。演出のグリンダの作品を把握する力とそれを正しく舞台上に描き出す手腕の見事さに唸らされるばかりだ。
こうした演出の意図を反映していたのだろうか、指揮のスペランツァ・スカップッチは快速のテンポでドラマを前へ前へと進めていく。そのためにドニゼッティの繊細なメロディにこめられた情緒が犠牲になってしまう箇所が少なからずあったのは残念だったが。タイトルロールのイリーナ・ルングはルチアにはやや重い声ではあるものの、最高音のEsを見事に響かせながら、「愛と自立を目指した女性」としてのルチアの内面をしっかりと表現していた。「ベルカントのスター」として知られるローレンス・ブラウンリーは、さすがの安定感でエドガルドを熱演。日本人歌手では須藤慎吾が、若くして当主となったために妹を犠牲にせざるを得ないエンリーコの心のうちを繊細に表現していて聴きごたえがあった。照明(ローラン・カスタン)によって時間の変化を表現していく舞台がとても美しいものだったこともつけ加えておきたい。
2021年4月21日、新国立劇場オペラパレス。
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