家族を支えながら自らの思いを詩に託した清朝時代の女性たち――スーザン・マン著『張家の才女たち』
スーザン・マン著『張家の才女たち』(東方書店)の書評が図書新聞第3657号に掲載されました。図書新聞編集部の許可を得て以下に掲載します。
清朝時代の3人女性の物語にぐんぐん引き込まれながら、彼女たちはどんな服装をしていたんだろう、どんな髪型だったのだろう、どんな香りを好んだのだろう、と知りたい欲がどんどん高まって来て、パソコンを開いて検索せずにはいられませんでした。ドラマ化しないかなぁなどと思ったりもしました。興味ある方はぜひ読んでみてください。
不思議な本だ。研究書でもなければ小説でもない。完全なノンフィクションではないがフィクションというわけでもない。この本は、一体どのジャンルに属するのだろう?
淡い桃色の背景に赤い提灯や扇があしらわれた優美な表紙を開くと、一枚の絵が現れる。〈隣り合った部屋で連句を作る〉ことを意味する、「比屋聯吟図」という題名の絵だ。そこには張家の三組の夫婦が、それぞれの関係性を感じさせる構図で描かれている。
張家は、清帝国の文化と経済の中心であった常州に実在した一族だ。エリート層に属しているが、支配階級ではない。学術活動が活発だった常州では、男たちは学問を身に着けて学者になると、職を求め、家族を残して旅に出ることが多かった。研究、執筆、教育、医療など様々な職を渡り歩きつつ、官職に就くための試験である“科挙”に挑むのだ。知識人として人を助ける役割を果たすため、人々からの尊敬とある程度の収入は得られたが、経済的には不安定だ。
夫の留守を預かる女性には、家を維持し、子を育て、家族を食べさせる役割が求められた。そこには、夫からの仕送りでは足りない金銭を賄うことも含まれる。家父長制の下、さまざまな制約を受けながら家族のために生きる女性たちは、フェミニズムの盛り上がりの中では“封建時代の犠牲者”という枠で一括りにされがちだ。しかし、本書『張家の才女たち』の著者であり、英語圏における中国女性史・ジェンダー史研究の先駆者であるスーザン・マンは、当時の女性たちが書き残した詩などの史料から、彼女たちがどのように育ち、自らの能力を磨き、それを活用して暮らしていたかに着目し、物語として再現した。
ある男性が硯に水を入れ、墨を磨る場面から物語は始まる。彼は自分の子供たちの家庭教師であった王采蘋(おうさいひん)の詩集の序文を書こうと、采蘋が張家の一員であることや、張家の人々の輝かしい業績について、考えを巡らせる。
そして、張家の三世代の女性が登場する。
湯瑤卿(とうようけい)(一七六三年――一八三一年)は、厳格な父親に閨秀(エリート家庭の奥向きで学問や芸術に秀でた女性)として育てられる。学者として有望だった張琦(ちょうき)と十五歳で婚約して二十七歳で結婚、張家の一員となる。二男四女の母として、生涯にわたって張家の親族を支える。
張䌌英(ちょうしゅうえい)(一七九二年――一八六三年以降)は、湯瑤卿の二番目の子で長女。独学で詩を学び、結婚後も実家に留まって家族を支えながら詩作を続け、詩人として知られるようになる。
最後に登場するのが、王采蘋(おうさいひん)(一八二六年――一八九三年)だ。湯瑤卿の末娘の長女である采蘋は、借家ながらも親族が集う広い家で、学問や芸術に囲まれて育つ。詩のクラブを作って詩作を続け、親族からさまざまなことを学び、やがて政治にかかわる詩も詠むようになる。
三人の女性が生きた十八世紀後半から十九世紀にかけての中国では、流行り病や“太平天国”の乱による社会混乱があった。そうした流れに女性は翻弄され、困窮や家族の死といった困難に直面する。しかしスーザン・マンの描く物語は、女性たちの苦悩や悲しみよりは、その困難を乗り越えるための工夫や知恵に焦点を当てて進行する。まるで歴史ドラマを見ているかのように、ぐいぐい読ませる面白さがある。そして各物語の後には「歴史家は語る」というコーナーが設けられ、当時の社会背景や慣習、人々の考え方などが詳しく解説される。纏足のこと、花嫁に持たせる持参金の意味、夫を失った女性の社会的立場など、その史実は驚くことの連続だ。さらに家系図、地図、詳細な注、年表、参考文献も掲載されており、興味が湧いたことはすぐに調べられる構成となっている。気になった箇所に付箋を貼りつつ、刺繍や書の収入で家族を支えながら、自らの思いを詩に託した清朝時代の女性たちに思いを巡らす、すばらしい読書体験となった。
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