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フランソワ・ポンポン


ポップな名前とシロクマに惹かれ、名古屋市美術館へ。

入り口には一瞬素材が何かわからないツルツルとした巨大なシロクマがお迎えします。

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次に人物の石膏像が現れます。

フランソワポンポン氏の年表をみると、下彫時代がとても長くロダンの下彫職人をしながら毎年公募に出品するも、なかなか世間に認められなかった。
ロダン以外の下彫をしたことで、ロダンが審査員を務める公募に出品できなかったこともありました。
60歳頃に動物を題材にしたもので、初めて世に出ました。

60歳から・・・作品を作るにはあまりにも短いような気がしました。

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ポンポンさんの時代は、サロンに出品するためにも家の経済も大事な要素の一つでした。
長い下彫時代を経て・・オリジナルの作品の自由さ、生き生きしている様子にとても親しみを感じました。


鑑賞をしていると、美大予備校に通う集団と一緒になりました。スマホでスケッチする学生さんもいてびっくり。

学生時代のことを思い出しました。私の場合は芸術大学に入る前に父が急逝し、びっくりするくらい家族の経済状況が悪くなりました。お金がどういうものかよくわからない高校生時代、学費は奨学金を二箇所から借りながら休日や授業のない日はアルバイトなどにいきました。

奨学金には単位取得が必須のため、落とさぬように必死で受けた大学の授業。大学単位を落とす悪夢をみるほどでした。授業をさぼって真っ黒なスポーツカーで海に繰り出す同級生にときにはノートを貸してあげた。

当時半分くらいの学生は卒業してからの進路はアルバイトをしながら作家活動というゆるい選択肢があったのですが、私には安定した就職しか選択肢はなかったのです。映像製作というカッコよくて面白そうな仕事に着くことができました。(後日談ですが、おさぼり同級生と同じ就職試験を受けることになって、私の方が採用されました。)

会社員の時代は楽しいことや貴重な経験もできたけど、高級外車が買えるほどの奨学金返済は自由をさまたげる重い鎖でもあり、職業選択に安定を優先した15年でした。節約し早期返済できたこと、社会勉強にもなり今の活動のきっかけでもあります。

キラキラした青春のページは少なかったけど、真面目に授業を受けていた甲斐があってか、西洋美術史などで学んだあらゆる時代の絵画のタッチなどはしっかり頭に入り、絵をみればあの人と芸術家の名前が浮かびます。美術館で年表をみて、交流のある芸術家や暮らし、そして人生などに触れるのも楽しみ。
フランソワ・ポンポンさんは動物のスケッチをする為に動物園に通い、
動物たちもなつくほどだったという。粘土で姿を写したこともあったそう。
小さなクロッキーには前後左右からかかれたスケッチが。寸法まで書かれていました。大変な長い時間をかけて作られた作品たち。

当時は大変貴重な動物園が、今は電車でいけばいつでも動物たちに会えます。ポンポンさんの人生に触れ、久しぶりにスケッチをしたい欲求にかられました。


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