#5 鬼軍曹のブートキャンプ
もし、私の話が誰かの記憶のどこかに少しでも残ったなら、私もいつかどこかで誰かの力になれるかも知れない、という思いで、病気のこと、回復の過程のこと、あの頃思ったことなど、少しずつ書くことにしました。もしご興味があればのぞいてみて下さい。そして私が今振り返って笑っちゃうことを、一緒に笑って頂けたら嬉しいです。
わたしの担当理学療法士(PT)はショーン。ラインバッカーみたいに体がごつくて、他のどのPTより厳しい。優しく患者を励ますなんてことは一切しない。
私と妹は陰で彼のことを鬼軍曹と呼んでいた。彼とのセッションはいつもブートキャンプみたいだった。
だけど、リハビリ初日に彼が言ったことは今でも私の心に残っている。
“昔、ある脳卒中の患者さんに障害があまりないのを見て、軽症ですねと言ったら、脳卒中に軽症も重症もないんだ、当事者にとってはどうあれ辛いことなんだと言われてとても反省したんだ。それからはもうそんなことを二度と言わなくなったよ”
この彼の患者への向き合い方は、この先ずっと私を支えてくれた。
客観的に見て、私はかなり軽症だった。それはただ単に幸運だったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。たまたまそうだっただけだ。
でも、だからといって発症しなかったのと同じではない。
脳卒中の症状は人によってそれぞれ違う。回復の程度もスピードも、残る障害も、どう受け取ってどう向き合うか、まったく人それぞれだ。
当たり前なことなのに、実はあまり理解されない。だいたい患者同士だって理解し合えないことが多い。
ショーンがそのことを理解してくれているだけで、私の気持ちはずっと楽になれた。
自分の中に “大丈夫ではない” 部分があるということをきちんと認識することは、私の回復にはとても大事なことだった。
だけど、壊滅的に頑固で意地っ張りで、やすやすと助けて下さいと素直に言えない私は、自分の回復の度合いを過信し、自分は軽症だから、愚痴をこぼしてはいけないと思うこともあった。今でもある。
そのたびに、ショーンの言ったことを思い出すと、私は自分の心身のバロメーターが ”ぜんっぜん大丈夫、問題なし” に大きく振り切ってしまわないように、少しだけ調整することができる。ほんの少しだけ。
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リハビリが始まって、まず目指したのが車椅子から卒業することだった。
まずはバーにつかまりながら歩く練習をする。
自分の病室の中でだけ歩行器を使うようになり、病院内の移動は車椅子を使った。車椅子と言っても、手で動かすのではなく、座りながら足をちょこちょこと動かして移動する。
ノロノロと動く私の横を、電動車椅子の人たちがガンガン追い抜いていく。
左足に力が入らないから、立つとまずグラグラする。病院に運ばれた日に、膝から崩れてソファーに倒れた記憶が生々しくて、怖くて仕方がない。相変わらず他人の足がくっついているような感じがして、自分のイメージ通りには動かない。
でも思うように動かなくてもなんでも、とにかく筋肉を動かして、脳に新しく覚えさせることが大事なのだ。
同時に、歩くときに変な癖がついてしまってはいけないから、鬼軍曹が横で足をかかとから地面につけろと叫ばんばかりに言い続ける。
イエスサーと敬礼しそうになる。
横では別のPTが自分の担当しているオバサマを、歩けて素晴らしいと褒めちぎっている。何で彼が私の担当じゃないんだ。
ずるい。
作業療法(OT)では、左手で細かい作業ができるようになるために、パズルのようなものをしたり、赤と青のピンポン玉大のボールをそれぞれ赤と青の箱に入れるといった作業をひたすらやる。
これらもまた、指先や腕を繰り返し動かすことで、脳から筋肉への信号を伝える神経を繋いで覚えさせるためだ。
腕も痺れはだいぶなくなったけど、肘から先はまだ痺れていた。細かい動きをしようとすると、手首から先がグラグラ揺れる。全神経を集中させても初めのうちは揺れや震えは止められなかった。
11年経った今でも、物を持つ時に左手が揺れることがある。だから液体の入ったコップや器は左手で持って運ばない。運んでいるうちに半分くらいこぼしてしまうからだ。
作業そのものは大したことがなくても、脳の訓練だから当然脳はくたびれる。それはちょうど、テストの前日に徹夜で勉強した時のような疲労感に似ていた。
アタマを使うと疲れるのだ。
睡眠は脳の回復にとても大事で、医師からもきちんと寝るように言われる。でも人によっては痛みやストレスで眠れないことがある。そうなると悪循環で回復も遅れるから、その場合には軽い睡眠薬が処方される。
幸い私は、痛みもなく、一日のリハビリが終わると疲労でぐったりして、眠れないということは一切なかった。
食事制限がなく、体がある程度動かせる私のような患者は、3度の食事をカフェテリアに行ってとる。メインや付け合わせ、果物や飲み物が何種類かあって、欲しいものを好きなだけ食べてよい。
とは言え、病院の食事なので、そんなに美味しいものは出てこない。
それでも体も脳も毎日くたびれて甘いものを欲しているので、バナナはほとんど毎日食べて、普段なら絶対飲まないようなチョコレート牛乳を飲んだりして糖分を補給した。
育ち盛りの子供みたいだ。
カフェテリアは、患者同士の社交の場でもある。初めはのんびりひとりで食べていたが、どういうわけか、5,6人のおじさん軍団と友達になり、毎回彼らと食事することになった。
私はどうもおじさんと縁がある。
(#6へ続く)