#11 笑う自宅療養

今回は、7週間の入院を終えて自宅に戻ってきてから、自宅療養しながら自分のダメダメ具合を笑って過ごしていたというお話。一緒に笑ってくれる人がいるって大事!

退院して自宅のベッドで寝るのは、それはそれは極楽だったけれど、初めのうちは毎晩夜中に何かあったらどうしよう、リビングで寝ている妹は救急車を呼べるのだろうか、どこに連絡するかわかるだろうか、と妄想がどんどん膨らんですぐには眠れなかった。

体調は安定しているし、入院中だって夜中にいきなり具合が悪くなるなんてことは一度たりともなかったのだから、まったくの杞憂なのだけれど、医師や看護師が同じ敷地内にいないだけで、こんなに不安になるものなんだ。

基本的には妹が家事全般をやってくれたが、私もできるだけ早く自立できるよう手伝った。でも結局妹の方が料理が上手いし手際もいいので、彼女が作って私が洗う担当になった。

重いお鍋やフライパンなどを洗う時には、わざとやっているのかと言うぐらい左手がグラグラ揺れるので、妹も私も笑ってしまう。

手が揺れると言えば、一度一本の傘を妹と一緒にさした時に、なぜか私が左手で持ったために、ぐらんぐらん揺れて、傘で妹の頭をがいんがいんと連打し、私は爆笑したが妹には叱られた。

入院中にリハビリの一環で使ったのがあまりに楽しかったので、退院してすぐ任天堂のWii Fit, Wii Sportsを買って、リハビリと称して妹と毎日のように遊んだ。

時々トモとセシ、オットも呼んで、みんなで遊んだりもした。

主にテニスやボウリングをやっていたが、時々ステップやバランスゲーム、ヨガなどをやると、私のあまりのできなさに大笑いする。

いつかは良くなるという根拠のない自信があったからかも知れないけれど、こうして笑い飛ばすことができたのは、妹やトモ、セシ、オットも一緒に笑ってくれたからだ。

一人だったら、間違いなくできない自分に苛立ち、落ち込んでいただろう。

人間は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだと聞いたことがある。笑うと脳は簡単に騙されて、楽しいのだと認識するらしい。

アタマの中の小さいおじさんたちも、すっかり騙されて笑っている。

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Wiiで遊んでる時と、外来で理学療法士に会いに行く以外は、散歩に行ったり、ジムに行ったり、YouTubeを見たりして過ごした。

水曜どうでしょうという番組を初めて知ったのもこの時だ。北海道のおかしな4人組の旅の数々を見て、妹とどれだけ笑ったことか。

もう一つ、これは笑うような動画ではないが、何度も見たのは、神経解剖学者 / 脳科学者、Jill Bolte Taylor博士の “My Stroke of Insight” というTED Talk。

脳卒中で脳の左半分の機能を失ってしまった博士自身の体験を語ったものだ。

左脳には論理的な思考を司り、「自分」というものを他から区別し、認識する機能がある。その部分を彼女は脳卒中でごっそりと失ってしまった。

一方、右脳は感性、感覚を司り、「今ここ」にしか興味がない。その部分しか機能していない状態は、「自分」と周りのものに境がなく、自分の腕を見ても、どこまでが腕で、どこからがベッドなのか分からず、まるで宇宙と一体化しているかのような、穏やかで壮大な感覚なんだそうだ。

その心の平穏について、彼女は主に語っているのだが、私はその部分を実感として捉えることはできない。

私は左脳の機能を失わなかったし、論理的な思考は、リハビリ期間にはむしろ増長されたように思う。

自分のこと中心で、良くなる未来のことばかり考えていて、「今ここ」には目がいかなかった私の経験とあまりにかけ離れている。

それでも共感する部分もたくさんある。

彼女が脳卒中を発症した朝の描写がとにかく秀逸で、冷静かつ客観的な洞察力と行動力には私などとても叶わず、ただただ感心するばかりだ。

以前も書いたが、私は入院中に脳や脳卒中について説明を受ける機会が多々あった。

私は言語能力には影響がなく、話すことも書くことも読むことも問題なかったが、もし言語能力を脳卒中で失っても、日本人や中国人など、漢字を使う民族は、漢字を脳の二つの異なる部分を使って理解するために、回復が早いのだという。

科学的に証明されているかは分からないが、漢字そのものが絵記号のようにそれひとつで意味をなすから、言語を理解する部分と、絵・アートを理解する部分が使われるのだそうだ。

脳ってすごい。

脳の機能について知れば知るほど興味をそそられて魅了される。生まれ変われるとしたら、絶対に次は脳科学者になりたいほどである。

そうやって脳内の世界へ思いを馳せながら、ひと月半ほど、毎日笑って自宅療養していたのだった。

(#12へ続く)

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