来た、か。せめて、温かい手を握ることが許されるなら
明け方の報せ
今週水曜日の明け方、弟から母の容体が悪いとの連絡が入った。
私の母は、8年前、父が亡くなってすぐに自宅の階段から落ちて入院した。痛々しい青たんが顔にできていたが、幸い大けがには至らなかった。
母には、認知症があった。
入院するまでは、自分のことは自分でできていたのだが、とうとう自分で起き上がることはでいなくなり、寝たきりになっていた。
こんなご時世で、帰省することもままならず、3年が過ぎようとしていたところの報せだった。
鈍い痛みが頭の後ろのほうに響いた。
来た、か。
3年前も、すでに意思の疎通はできない状態だったし、最期の時に、会えない覚悟はできていた。
でも。
温かい手を握ることが許されるなら、やっぱり、そうやって別れと感謝の気持ちを伝えることができればと思った。
病院ではまだ、コロナの影響で家族との面会は、許されていない。
通常は、月に一回のオンライン面会のみらしい。
病院側が遠くから駆け付けた私のために、特別にオンライン面会を許してくれた。
リアル面会するには、PCR検査の陰性証明が必要であると言われた。
ご時世だなーと痛感する。
病院側と交渉する余地はないと思った。
素直にPCR検査を受けた。
結果は陰性だった。
検査をして1時間後には結果がわかった。
その場で陰性証明書を書いてもらい、入院中の母と10分だけのリアル面会を果たした。
母は寝ていた。
顔を見たら、自分は泣き出すんじゃないかと思ったりしてたけど、そうでもなかった。
何かをぐっとこらえていたのか
それとも
笑顔を見せたいと思ったのか
自分でもよくわからない。
母の手は、やはり温かかった。
私は、母の一面しか見てなかった
私は、母のことをずっと「ネガティブな人」だと思っていた。
時々、愚痴をこぼしたり、
思いついたら、パッとお金を使ってしまう父に、文句を言う姿を見るのが、イヤだった。
でも、母には、そういう一面があっただけのことじゃないかと
病院に向かう車の中で、ふと、思った。
遠くまで田んぼが連なる景色が、広がっている。
思えば母は、風邪で寝込んだことなどなかった。
私が幼い頃、父が大病をして、医師から覚悟してくださいと言われた時も、母が泣いている姿は記憶にない。
昭和ひとケタ生まれの母は、戦争で食べるものも着る物もない時代を過ごし、農家の娘として、働き手として実家の暮らしを支えてもきた。
芯が強く、体も丈夫で、家族を支え、家族のために尽くしてきた。
時々、愚痴ひとつ、こぼすことぐらい、許してあげてもよかったんじゃないか。生きてりゃ、心配事のひとつやふたつ、出てくるよね、お母さん。
母の穏やかな寝顔を見ながら、そう思った。
もう、叶わないことだけど、
今なら、愚痴をこぼす母の話を、心の中でイラっとしたりせずに、
じっくり聴いてあげられる気がする。
この命を、ありがとう
今、母の容体は落ち着いている。
いったん、自宅の戻ることにして、この記事を書いている。
たとえ会話は成立しなくても、生きていてくれるだけで、
母は、私の心の支えになっている
と、今さらながら、あらためて気づいた。
ふうぅっとため息ひとつ。
今夜は、早めに寝ることにしよう。
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