自己紹介(教員で詩吟と昔話が好き)
はじめに
好きなものは昔話で、なかでも好きなのが浦島伝説。
10歳から詩吟をやっていて、古典が人よりちょっと得意。
話すことには苦手意識があって、
隣のクラスで熱く語る同世代の先生方が羨ましかった。
そんなデコボコした高校国語教員です。
書くことと、「物語る」という人の営みに惹かれて、
この仕事に就き、また、小説やエッセイを書いてきました。
『おしゃべりな出席簿』好評発売中です。よろしくお願いいたします。
学校の今を届けたい、『おしゃべりな出席簿』
教員は転勤族です。
初任勤務のゴールが見え始め、次はどこに行くんだろう。
そう考えていた頃、朝日新聞島根版での連載のお話をいただきました。
いくつかの文学賞で取り上げていただき、
近所にあるミュージックバーのマスターが
「うちにも本置きなよ」、掲載誌をスコアの棚に並べてくださったのが縁でした。
それに目をとめた常連さんが、連載の話を運んできてくれたのです。
出雲から隠岐、そして石見へ。島根の旧三国を渡り歩きました。
そこで出会う生徒たちは、同じようで、違うようで・・・。
思い出そうとすれば数え切れないほどの思い出が沸き起こります。
そうした思い出たちを、こぼれ落ちないうちにと書き留めたコラム、
それが、『おしゃべりな出席簿』でした。
noteを始めるに至ったきっかけは、
正直なところ、この本のことを知ってもらいたくって。
地方住みのアマチュアによる自費出版。
私が広報しないと、誰にも届かない。
それなら、無理なく楽しく、発信できるツールで。
そう思って、一歩を踏み出したのでした。
話すのは苦手ですが、読み聞かせや朗読は好き。
私が書いてきた作品たちを発信する場ととして、
noteを活用したり、他の音声コンテンツメディアを活用したりして、
私が出会った「学校」の姿をお伝えできたらと思っています。
昔々の砂浜で、禁忌の箱が開きました。
浦島伝説の歴史は古く、風土記や万葉集にも記されています。
「若かりし肌も皺みぬ 黒かりし髪も白けぬ」(万葉集)
玉手箱を開けた浦島は、ほとんど例外なく年老いてしまいます。
「やってはいけないこと」って、だいたい、やっちゃうんですよね。
深い絶望の中にあるときこそ、逢魔が時。魔が、さしちゃうんですよね。
亀を助ける優しさをもち、孤独の中ですがるように禁忌を犯す脆さをももつ。
浦島って、人間らしいんです。温かくて悲しい。だから人を惹きつける。
浦島が幸せになる世界はないものか。そんな伝説は残っていないのか。
そう考えたときから、私の浦島探究は始まりました。
noteでは私が出会った各地の浦島伝説も紹介できたらと思っています。
人はどうして物語るのか
「見るな」のタブーは残酷で、不思議な普遍性をもっているようです。
中を見てはいけない玉手箱を開き、年老いてしまった浦島太郎。
開けてはいけない障子を開き、鶴に去られてしまった与ひょう。
日本神話でイザナギもまた、同じ禁忌を犯します。
黄泉の国で妻の姿を覗き見た代償は永遠の別離でした。
なお、ご存じの方も多いと思うのですが、
似た物語がギリシア神話にも残されています。
(オルフェウスとエウリュディケ)
人はどうして、こうした話を語り継いだのでしょうか。
イザナギやオルフェウスの神話は、
「死」を受容するための物語であるかのように思われます。
愛しい人との死別を前に、「これが夢であったなら……」
そう願った人は古代から今に至るまで数え切れないほどいたことでしょう。
でも、現実はときに無情なのです。
そうした現実を前に、
「死んだ人とは二度と会うことができない」
と、心の奥底に落とし込むために、
古代から人は、物語を必要としたのではないでしょうか。
現実と向き合うための物語。
でも、人が語るのはそのためだけでもないようです。
「浦島太郎」は古くは「浦嶋子」と記されています。
浦島伝説の主人公は貧しい漁師を想像する方も多いと思いますが、
「子」は尊称、古代に語られた浦島は地方豪族でした。
この浦嶋子、やはり玉手箱(玉匳(たまくしげ))を開けてしまい、
後悔のあまり地に身をなげうって涙したとあります。
ところが。
室町時代、御伽草子に記された「浦島太郎」は、
主人公が「太郎」これは庶民の名前です。
そして、どうしたわけか、この頃から浦島伝承は、
乙姫と浦島が夫婦の明神になる、すなわちハッピーエンドになるのです。
こうした変遷の背景には、物語に自己を投影した、
庶民たちの願いがあったのではないかと言われています。
現実を越えるための物語。
河合隼雄氏は「外的な現象と、子どもの心の中に生じることとが一つになって、物語に結晶している。」(「『ふしぎ』ということ」)と言っています。
現実と向き合うために人は語り、現実を越えるために人は語りました。
物語が生まれるとき、いったい何が人の眼に映り、
いったい何が人の心の中にあったのか。
心の中のことは、当人にしか分からない、
それは承知なのですが、
物語を通して、少しだけそこに手を伸ばせたら、
そんなことを思いながら昔話を愛しています。
おわりに
最初は軽い気持ちで書き始めたのですが、
ずいぶんと長くなってしまいました。
私にとって物語の記憶は、温かな薄闇の記憶です。
文字も読めなかった頃、母が、祖母が、叔父が、不思議な話をいくつも聞かせてくれました。
なぜこんな話が生まれたんだろう。
言葉がうつろいゆく背景にはどのような世の変容があったのだろう。
人は、どうして物語るのだろう。
ときおりそんなことに思いを馳せながら、ゆるりと読んでもらえたら。
過去に書いたものや、今思っていることなどを、文章で、
また音声にしてお届けしたいと思います。
よろしければお付き合いください。