見出し画像

中編小説 笠地蔵異聞(2)

はじめに

 笠地蔵異聞の第二話です。第一話から読みたい方はこちらからどうぞ。

――――――――――
奇妙な地蔵たちを見た日の昼下がり、和宏は少しまどろんだ。

夢の中に母がいた。薄闇のなか、笠地蔵の昔話をしてくれていた。夢の中で幼子だった自分は、いつしか地蔵になっていた。周りは角帽をかぶっていた。自分もかぶっていた。ほの暗さと母の声に安らぎを覚えながら、野道にたたずんでいた。ところがふいに、黒い雲が湧き上って、空がおおわれた。雷鳴がとどろいた。と、思ったら大きな毛むくじゃらの手が雲を割って伸びてきて、自分の角帽をむしり取っていった…….。
――――――――――

笠地蔵異聞(2)

音声で楽しみたい方はこちらからどうぞ

 その日は昼下がりから、ビールを飲んだ。縁側に座椅子を出し、湿気をはらんだ生ぬるい風に包まれながら、まぶたを閉じた。鈍痛のような疲れを感じていた。知らぬ間に眠ったらしい。

 夢の中に母がいた。薄闇のなか、いつかのように、昔話をしてくれていた。

 雪をかぶったお地蔵さんは、それはそれは寒そうでした。(かわいそうにの……)おじいさんは、売れなかった笠をぜんぶ、お地蔵さんの頭にかぶせてやりました。

 いつしか自分が地蔵になっていた。道端に並んだいくつかのうちの一つ。周りは角帽をかぶっていた。自分もかぶっていた。ほの暗さと母の声に安らぎを覚えながら、野道にたたずんでいた。

「お地蔵さんは、いくつあったの。」天から、子ども子どもした自分の声が聞こえた。さてねえ、いつつか、とお、かしら。それともむっつか、じゅういちかしら。「なんで。」なんでって、笠はひと山いつつだもの。おじいさんが売れ残った笠をぜんぶかぶせてあげたならいつつ。それでも寒々としたお地蔵さんが残ってしまって、自分の笠までかぶせたなら、むっつ。母は歌うように言った。
 
 ふいに、黒い雲が湧き上がって、空がおおわれた。雷鳴がとどろいた。と、思ったら大きな毛むくじゃらの手が雲を割って伸びてきて、自分の角帽をむしり取っていった。

 目を覚ますと、苦い笑いがこみ上げた。ついぞ引くことのなかった記憶の糸をたどる。あのころ、学生はみな、角帽をかぶっていた。かぶらないと山男のような先生に頭をはたかれた。角帽への追想は、いつも苦い思い出を連れてくる。

 女手ひとつで育ててくれた母が脳溢血で倒れ、そのままあっけなく逝ってしまった。親戚と近所の人の力を借りて葬式を出した。高校を一週間ほど休んだ。忌引きが明けるころになって、(このまま学生を続けるわけには、いかんわなあ)、身の振り方を考えるようになった。
 
 叔父の口利きで上京し、小さな放送局の雑務係になった。

 特に謳歌したわけでもない学生生活だったが、それでも未練はあった。いくばくかの屈託が残った。東京まで学生帽をもっていったのはどのような心理だったか。かぶるでもなく飾るでもなく、押入れにしまいこまれた角帽は、時折、和宏の胸をちくりと刺した。

 最初のうちは小道具が入っている段ボールを運んだり、計時をしたり、床を拭いたり。それを必死に繰り返すうちに、自分の輪郭ができていった。社会人になっていった。だんだんと意識することなく仕事が終えられるようになった頃、その日が、訪れた。
 
 給料日には誰もがどことなく浮足立っている。現金支給が当たり前の時代だった。

 どう、と、一人が胸の前で牌を書きまわすしぐさをする。あっという間に三人が集まり、「お先に。」足音が遠ざかった。

 和宏はといえば、多少懐があたたまったところで、失うリスクを冒すほどの余裕はもったこともない。とはいえ、先立つものがあるのは嬉しい。今夜は少しいいものを食べよう。雑用係仲間が半分ほど引き払ったタイミングを見計らって、職場をあとにした。

 帰りの列車で少し、まどろんだ。

 がくり、と体がゆれた。開けたばかりの目をこらして薄汚れた窓の外を見る。見慣れた風景にあわてて列車を降りた。降りてもう一度周囲をよく見渡す。まぎれもない、いつもの駅舎だ。あぶないところだった。
  
 改札を抜けて、数台しかないタクシーと、そこから連なる列をしり目に、安アパートを目指した。

 家々の灯が遠ざかり、人通りの少ない坂を上って下って、それからもう一度、集合住宅ばかりの小さな町に出る。ここまで来ると、なんだかほっとする。ほっとしたついでに、鞄のなかの給料袋に触れたくて、周囲を確認してから鞄を開けた。

 書類と文具が指に触れた。けれども、その間に挟んでいたはずの封筒がない。書類沿いにあるはずだと何度なぞっても、変化のない紙面がつるりと澄ますばかりだ。

 おかしい、が次第に強い焦りに変わる。黄色い外套の下で、しばらく鞄をたしかめ続けた。ひたひたと不安と絶望がせりあげてくる。足早に帰宅し、床に鞄の中身を広げた。書類もちり紙も一枚一枚はぐりながら、間に隠れているものがないか確かめる。ない。落としたのだろうか、盗られたのだろうか。駅までの道を引き返す。自分の足音がやたら大きく聞こえた。肩で息をしながら、目線をアスファルトに走らせた。駅舎の待合も手洗いも確認した。駅員にも泣きついた。が、封筒はどこにもなかった。(続)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまでお読みいただきありがとうございました。次の話はこちらです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?