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むかしばなし雑記#04 「一寸法師ーけっこうあざとい!?小粒の英雄ー」
はじめに
こんばんは、先週まで「金太郎」「大江山(酒呑童子)」の紹介をし、時代とともに変わっていった「鬼の捉え方」、そして「鬼と人との関係性」について考えてきました。
「大江山(酒呑童子)」では、源頼光が四天王とともに強大な力をもつ鬼を見事成敗した、とされています。この時代、鬼って恐れられていたんですよね。だからこそ、豪傑たちが力を合わせての鬼退治が現実味を帯びるわけであって、この鬼がそう簡単に倒されてしまっては物語の面白みがない。
……と、これは平安の終わりから鎌倉のはじめ、武家社会の萌芽が見られた時代の感覚でした。
さて、このあと「鬼」のイメージはどうなっていくかというと……?
というわけで、今回は「小さき者」の鬼退治、「一寸法師」のお話です。
「金太郎」「大江山(酒呑童子)」についてのお話はこちらです。
「一寸法師」
以下に青空文庫「一寸法師」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えて書き起こしたストーリーを掲載します。今回は前半部分です。
なお、YouTubeでは楠山正雄氏の作品そのままを朗読にて紹介しています。音声で楽しみたい、という方はこちらからどうぞ。20分以上ありますので入眠用にもいかがでしょうか?
むかし、摂津国の難波というところに、ある夫婦が住んでいました。二人には子どもがなく、住吉の明神様に一生懸命お願いしていました。するとまもなく指ほどの小さな男の子が生まれ、夫婦は一寸法師と名付けて大切に育てました。十六歳になった年のある日、一寸法師が「これから京都へ上り、運試しをしようと思います」と言いますので、お父さんとお母さんは旅支度をしました。一寸法師は縫い針の刀を腰に差し、お椀の舟にお箸のかいで住吉の浜から船出しました。
一寸法師は、京都の三条で一番立派な三条の宰相殿という人のお屋敷で仕えるようになりました。一寸法師はよく働き、利口で気が利いているので、みんなからかわいがられいつしかこの家のお姫様と友達のように仲良くなりました。あるとき一寸法師は、お姫様にいたずらを仕掛けました。自分が殿様からいただいたお菓子を残らず食べ、残った粉を、昼寝をしているお姫様の口の端になすりつけました。それからからっぽの袋を片手に泣き真似を始めたのです。その声を聞きつけて出来てきた殿様に、一寸法師は「殿様からいただいたお菓子、お姫様がみんなとって食べてしまいました」と言いました。殿様はたいそうお怒りになって、その怒りに触れた宰相殿は、一寸法師に言いつけてお姫様を屋敷から追い出し、遠いところへ捨てさせました。
一寸法師は、軽い気持ちでしたいたずらでお姫様が追い出されてしまったので気の毒になり、お姫様を自分のうちへお連れしようと舟に乗りました。するとまもなくしけになって、舟は海の方へ流されてしまいました。三日三晩波に揺られ二人は不思議な島に着きました。そこには見たことのない花や木があり、人の姿は見えません。島をあるいていますと、二匹の鬼が飛び出し、お姫様をただ一口に食べようとしました。一寸法師は針の刀を抜いて、鬼の前へ躍り出ます。
原作はこちらからお読みください。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000329/card43457.html
子どもか妖しか一寸法師
一寸とは約3㎝。この小さな小さなヒーローは、時代によって様々な描かれ方をしています。特に有名なのがこの物語の元とされる御伽草子。
御伽草子……というと、室町時代には成立していたような印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、藤掛和美氏の著書『一寸法師のメッセージ』(笠間書院)によれば、現在私たちの知ることのできる御伽草子「一寸法師」の名の初出は寛文十年(一六七〇年)とのこと。江戸時代です。
それでは、御伽草子における一寸法師誕生の場面を少し見てみましょう。
中ごろのことなるに、津の国難波の里に、おほぢとうばと待り。うば四十に及ぶまで、子のなきことを悲しみ、住吉に参り、なき子を祈り申すに、大明神あはれとおぼしめして、四十一と申すに、ただならずなりぬれば、おほぢ、喜び限りなし。やがて十月と申すに、いつくしき男子をまうけけり。さりながら、生れおちてより後、背一寸ありぬれば、やがて、その名を、一寸法師とぞ名づけられたり。
年月を経るほどに、はや十二三になるまで育てぬれども、背も人ならず、つくづくと思ひけるは、ただ者にてはあらざれ、ただ化物風情にてこそ候へ、われら、いかなる罪の報いにて、かやうの者をば、住吉より給はりたるぞや、あさましさよと、見る目も不便なり。夫婦思ひけるやうは、あの一寸法師めを、いづかたへもやらばやと思ひけると申せば、やがて、一寸法師、このよし承り、親にもかやうに思はるるも、口惜しき次第かな、いづかたへも行かばやと思ひ、刀なくてはいかがと思ひ、針を一つうばに請ひ給へば、取り出したびにける。すなはち、麦藁にて柄鞘をこしらへ、都へ上らばやと思ひしが、自然舟なくてはいかがあるべきとて、またうばに、「御器と署とたべ」と申しうけ、名残惜しくとむれども、立ち出でにけり。
うばは古語において老女を意味しますが、なんと四〇歳!余談ですが私と同い年です。もはや若者を名乗れないのは自覚していますが、「おばあさん」と声をかけられたらちょっと戸惑うかもしれない私……。まあそれあはさておいて、時代が違いますので、この時代においては大台に乗った老夫婦ということで、この夫婦、子どもがいないのを悲しんで住吉にお参りをしたのですが、大明神の力添えにより授かったのが一寸法師でした。
ところが、老夫婦はあまりに成長しない一寸法師を気味悪く感じ、「いったいどのような罪の報いで化物風情のこのような子を賜ったのか」と嘆くようになります。それを察した一寸法師は家を出ようと決意、針の刀を身につけ、お椀の舟に乗り込んで、住み慣れた家をあとにしたのでした。
望まれて生まれたのに疎まれた一寸法師が可哀相ですが、実は前述の『一寸法師のメッセージ』によれば、江戸時代初期に書かれた日記を紐解くことで、同時代における「一寸法師」観が見えてくるようです。
件の日記は『松平大和守日記』といい、当時の芸能や見世物の記録なども書かれた貴重な書です。明暦四年(一六五八年)四月一六日の項に、江戸「堺町」における見せ物の記録として「見せ物にては、一、くじゃく 一、一寸ぼうし 一、いんこうたうたい 一、鸚鵡」という記述が確認できるとのこと。慶長八年(一六〇三年)にポルトガルの宣教師によって出版された『日葡辞書(にっぽじしょ)』にも「Issunboxi. イッスンボゥシ(一寸法師)こびと。Fiqiuto(低人)」と言う方がまさる」という記述があること等からも、物語の題や登場人物名としての「一寸法師」に先行して、とても小さな体格の人を呼ぶ言葉としての「一寸法師」という表現があったことがうかがい知れます。そして、そうした人の一部は、ときに見せ物扱いを受けていたようなのです。
藤掛氏はこれらを踏まえて「『一寸法師』の物語は、こうした障害を持った人への連帯感を秘めながら、障害者・弱者に対する差別への告発が根底にある」と評されています。
子どものいたずら?大人の計略?
現代の私たちがよく知る一寸法師と、御伽草子の一寸法師で大きく異なる点がもう一つあります。それは姫とお屋敷を出る前の一悶着。御伽草子には次のようにあります。
かくて、年月送るほどに、一寸法師十六になり、背はもとのままなり。さるほどに、宰相殿に、十三にならせ給ふ姫君おはします。御かたちすぐれ候へ
ば、一寸法師、姫君を見奉りしより、思ひとなり、いかにもして案をめぐらし、わが女房にせばやと思ひ、ある時、みつものの打撒(うちまき)取り、
茶袋に入れ、姫君の臥しておはしけるに、はかりことをめぐらし、姫君の御口にぬり、さて、茶袋ばかり持ちて泣きゐたり。
大きな流れは御伽草子と楠山正雄氏の童話でほぼ同じですね。一寸法師は姫にお菓子(ちなみに御伽草子では「米」となっています)を取られたと訴え、結果、姫は窮地に立たされます。
さて、流れは一緒なのですが、見過ごせないのが次の点。楠山正雄氏の童話では子どものいたずらがエスカレートした結果、二人して追い出されたといった展開で、一寸法師は自らのいたずらが招いた結果に戸惑い、お姫様を気の毒に思ったとあります。ところが……。御伽草子に描かれているのは、屋敷から追われる姫と、姫の処分を任された一寸法。さらに一寸法師は当初から姫を自分の女房にしたいと考えて計略を巡らせています。そう、この駆け落ちは一寸法師によって計画されたものだったのです。
小さな姿に重ねた願い
江戸時代に語られた一寸法師は、当時の世にあって、身体が小さいがゆえに弱い立場におかれたり、疎まれたりしていた者が、知恵を巡らせて立身出世を果たすストーリーでした。御伽草子に見られる他の物語もそうであるように、長い時代の中で変わっていった一寸法師でしたが、時代の変化の中に埋もれてしまうことはなく、明治期に書き直されて現在の形に近いストーリーができあがります。
御伽草子では「化物風情」と描かれていた一寸法師を、楠山正雄氏は人間に近い存在として書き起こしました。今見ると不適切に思える場面も多々ある一寸法師。それでもこの作品が形を変えながら語り継がれ、読み継がれた背景には、小さな存在が大成功をおさめるというストーリーを愛し、そこに自身を重ねようとした、庶民たちの気持ちが、願いがあったかもしれません。
本当は一話完結のつもりだったのですが、長くなってしまったので続きは次回に送ります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。