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浦島語り#09 海獣たちのいるところ

はじめに

このシリーズでは隠岐に残る浦島伝承を取り上げています。今回だけでも楽しんでいただけるよう意識して書いているつもりですが、最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。

さて、今回のタイトルですが、幼少期によく読んだロングセラー絵本にあやかってみました。このシリーズで紹介している、一風変わった「浦島伝承」、そこには玉手箱が登場しません。言わずと知れた「浦島太郎」の結末は、玉手箱を開封してしまった主人公があっという間に年老いてしまう……といった展開ですよね。でも、島根県隠岐郡隠岐の島町の北端に残る浦島伝承において主人公が犯す禁忌は「移り気」、つまり、乙姫と恋仲になりながらも、ほかの女性、しかもあろうことか乙姫の侍女と関係を持ってしまったことにありました。乙姫の怒りに触れた侍女は、異類にその身を変えられて、竜宮を追放されます。そして哀れにも、当地で次々と漁師たちの餌食になってしまうのでした……。

さて、この侍女の成れの果て、なのですが、語り継がれた伝承には「モタ(当地の方言でフカザメ)」とするものと、「メチ(当地の方言でアシカ)」とするものの二種があるようです。前回は「モタ型」伝承に注目し、当地で見られるサメたちのどのような点が「竜宮の侍女」を思わせたのかについて書いてみましたが、今回は「メチ型」に迫ってみましょう。お付き合いいただけると嬉しいです。

あれは人魚か海獣か

それにしても……浦島太郎とアシカ?一見すると何ともミスマッチ。そもそもアシカが日本昔話に登場ってちょっと新しいような……?そう考えられても無理はありません。ニホンアシカはここ50年近く目撃されておらず、来年には絶滅が宣告される、現在進行形の絶滅危惧種なのですから。

※ニホンアシカについて
厳密にはIUCNレッドリストではすでに絶滅した種として記載されていますが、国内の環境省レッドリスト2019では絶滅危惧ⅠA種に位置付けられています。最後の生息情報は1975年の竹島における記録で、その50年後にあたる2025年(来年!)には絶滅が宣言される見通し。
服部薫編『日本の鰭脚類:海に生きるアシカとアザラシ』東京大学出版会より

でも、一昔前には多くのニホンアシカが隠岐諸島や竹島で見られていたと言います。ニホンアシカは雌雄で外見がかなり異なり、成獣になると雄は体長が200センチ以上に及び、頭部が隆起してかっこいい(怖い?)外見になります。メスはそれよりずっと小柄で、150センチ程度。頭部の形も目元も丸みがあってかわいい感じです。

↓こちらのウェブサイトにある写真が雌雄成獣と幼獣の様子を分かりやすく伝えてくれていますので紹介します。

水族館がお好きな方はあのアシカ(水族館で見られるアシカはカリフォルニアアシカといって、黒っぽい外形のはず)を、柴犬みたいな薄茶色にしたものがニホンアシカのメスだと思って、想像してみてください。

きっと、サメ以上に可愛らしくて、親しみ深い。しかも岩場に上がって日向ぼっこもするし、声を上げて鳴く。西洋の昔話に登場する人魚はジュゴンなどの海獣を見誤ったのではないかともいわれていますが、こうした特徴を考えるに、アシカが竜宮の侍女たちだったととらえて語り継いだ話が生まれたのも頷けます。

思い出語りを集めてみると

さて、隠岐の島町でこの伝承について聞き取り調査をする中で、いくらかニホンアシカとの思い出について語ってくださる方と出会いましたので紹介してみましょう。

伝承者 昭和7年生 男性

伝承が伝わる中村地区出身の方で、ご本人は漁師経験もあり、のちに観光遊覧船の案内等もされていました。明治40年生のお父様から聞いた話を中心にお話しいただきました。

―メチが岩屋というのは?
ずっとこっち(白島半島沿いに西回り)行きて、ここ、松島っちゅうのがあるでしょ、そこの洞窟が、深い。70メーターくらいの。下も20メーターくらいあって。そこはメチがおったとこ。メチが岩屋だ。モタが岩屋とメチが岩屋とは違うだが。その松島のとこに網を張って、だーっと石を投げてね。

―メチ漁はメチが岩屋で?
うん、そうだ。メチ漁はね。他はみんな、ここら浅いが。こっちくると海が深くなるわけだけん。魚もよけおるし、潜ってもね、えさがある。浅いとね、魚おらんもん。ここの白島行くとね、海が40メーター50メーター深いとこだもんで。
(中略)
松島中に大きな岩屋が二つもあって、その一つがメチが岩屋言うてね。ずっと奥まで70メーターぐらい入りよったでしょ。そいでこの、昔は立ち番しちょってね、「来たぞー来たぞー」てね「早く来い」ちゅうてね、そいから来たら石をどっど、どっど投げて、それを追い込んで、網を打つわけだ。そいとこの、奥へ行くと今度、あっち出られんが、引き返してきて、来たと今度はじょっと沈めて窒息させて、捕るわけだ。

伝承者 昭和27年生 男性

アシカの繁殖地として有名な竹島に漁労に行く際の発着地である久見地区のご出身で、御祖父様が竹島漁労に従事されていたこともあり、幼少期にはよ
く大人たちから漁の様子を聞いていたということです。

―アシカにはどんな思い出がありますか?
白島の中に松島という島があり、そこの深い洞窟がアシカの繁殖地だ。アシカは漁師からしたら嫌われ者の害獣扱い。網を破ったり漁場を荒らしたりするね。

―メチ漁はどんな様子でされていたんでしょうか?
洞窟の外側に網を張り、洞窟の奥にいるアシカたちが外に出るように仕掛けて生け捕り
にしていたね。

伝承者 昭和27年生 男性

伝承地の中村出身で、代々、当地でわかめ取りと漁をされている家に生まれ、民宿と渡船業を営まれた方です。

―モタが岩屋とメチが岩屋って見た目から違うんですか?
モタが岩屋は頃っとした丸い石が多くて並んでおり、浅い。魚等は隠れやすいと思うね。石鯛も栄螺もよくとれるよ。メチが岩屋は大きくて奥行きもある。深い。西側は洞窟が大きくて石も大きい。餌が多くて住みやすい。アワビなどがたくさん岸壁にくっついている。岩が固まったような洞窟だね。

―アシカはご覧になったことがありますか?
アシカはたまにいたよ。
俺が潜り(潜水漁労)してたころだからずっと前だけどね。はぐれアシカが何かでたどり着いたのかな?一頭だけいるのを船上から白島の田島の方で見たよ。島の上に上がって昼寝をしている様子でね。見た人は他にもいると思う。1メーターくらいあったかな。

アシカに重ねた異類の女性

なかなか全部は紹介できませんが、この地で聞き取りをしてみると、昭和20年代より以前に生まれた方はアシカとの思い出を結構語ってくださるんですよね。人とアシカが共に生きたことを伝える、温かい語りがそこかしこに散らばっているんです。

時に猟の対象であり、島に大きな富をもたらす存在であったことも間違いないのですが、ただ眺めたり、ともに泳いだり、漁に出た船上からその存在を認めて驚いたり、そんな思い出もたくさん聞かれるんです。

アシカはハーレムを作る(一夫多妻)とも、岩場でお産と育児をするとも聞かれましたが、そういった様子を見ていた当地の人たちにとって、メスのアシカはどこかしら人魚にも似たものを感じさせていたのかもしれません。そうした海獣たちと隣り合わせに生きているという生活実感が、哀れにも竜宮を追放されてしまった侍女たちというストーリーを、アシカたちの姿に重ね合わせるに至る背景だったのではないでしょうか。

おわりに

ニホンアシカ編、いかがでしたでしょうか?

まだまだ考察の足りないところもあるかと思うのですが、今、私が一番の情熱を注いで追いかけているこの伝承、当地の地形や釣りの実態、海の生き物の生態などを調べれば調べるほど、面白さが増すように感じられます。ご多忙にも関わらず、聞き取り調査にご協力いただいた地域の皆さまに感謝いたします。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。また来週、お目にかかりましょう。

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