「改善か 信仰か~激動チベット3年の記録~」の感想(その1)

チベットの方々の顔をみていると、日本人とよく似ているな、と思うし、チベット仏教についての話を聞いていると、日本でもお馴染みの言葉や教えが随所にあって、とても親しみを感じました。

なのでチベットの方々が大切にしている宗教を中国が否定し、弾圧している光景は、とても心が痛みました。

貧困から脱却させ、豊かさを提供しているといいますが、これは高慢な考えだと思います。

私は特定の宗教を信じていませんが、神社にお参りし、お盆にはお墓参りに行き、寺で法要や法事を行い、お彼岸には法要を聞きに行っています。お経を聞いても意味はわかりませんが、今後仏教について学んでみようかな、という考えは持っています。

宗教は人々にとって、大きな心の支えだと思います。人が大切にしている宗教を、他人が批判したり、ましてや弾圧するなんて、とても残念なことだと思います。

人を傷つけるようなことはしてはならない。常に他者の気持ちを考え、思いやる。日本では子供の頃からそう教わります。この教えの根底には仏教思想があるのかもしれません。

そうでなければ、世の中は無茶苦茶になる。これは先人たちが経験として知り、後世に残してくれた教えなのだと思います。

しかし現在の中国は、宗教の自由は認めていますが、宗教を信仰する人は共産党委員になれないといいます。つまり中国の中枢にいる主要人物たちは、宗教を信じていないのです。

宗教的な心を閉ざすというのは、どういうことなのでしょうか。年老いても、病気になっても、大切な人に不幸があっても、神にすがりたい、祈りたいと思う時はないのでしょうか?

また、幸せを感じる時、この恩恵を目には見えない超然的なもの、神に感謝する、という気持ちは起きないのでしょうか?

大自然の中で、何か大きなものに生かされている、という想いが湧き上がらないのでしょうか?

チベット仏教の中でも最も聖なる行いが、鳥葬だと思われますが、この番組の中で、鳥葬までもがお金のために観光客の見世物される、ということが最もショックでした。

誰が大切な親族の葬式を見世物にしたいでしょうか。死者への冒涜、チベット仏教に対する冒涜、宗教に対する冒涜だと思います。

このような中国のデリカシーの無さは、とても怖いと思います。大きな経済力と軍事力を持った中国は、この自己中心的な考えを、チベットだけでなく、ウイグル人、香港人、台湾人に力で押し付けています。さらにこの暴走を進めると、やがて日本にも圧迫を強めるかもしれません。

個人的には中国人の友達も欲しいと思っています。民主化を望む中国人が多いということも聞いています。中国が自ら現在の暴走を修正することを期待したいと思っています。

現在の中国は、帝国主義の道をつき進んだ1900年代の西欧諸国に似ていると思います。しかしその西欧諸国がいきついた先は、第一次世界大戦と第二次世界大戦でした。そして1960年代には日本も急激な経済成長の負の遺産として、公害を体験しました。

同じ過ちを犯さないよう、中国のためにも、よく考えて頂きたいと思います。

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