誓いの言葉が地名になった場所
東京の生まれでも育ちでもない私にとって、ぱっと見読めない地名などが東京にはあります。
たとえば、日暮里(にっぽり)、上石神井(かみしゃくじい)
今回紹介する地名も、漢文のようになっているので、読めなくはないのですが、「日本の地名らしくないなぁ・・・」と思っていました。
そして、この地名の由来をご存じの方がお客さまでいらして、納得したお話です。
江戸幕府を開いた徳川家康には忍びの集が周りにいた
というお話。
実は、本当に、忍びの集が護衛についていたとのこと。
そして、江戸幕府となり太平の世が収まると、忍びの集は江戸の一か所に領地を賜いました。
その忍びの集、太平の世になったことで、徳川家康公に対して
「今後一切、忍びの行動は致しません」
と忠誠の宣言をしました。
ゆえに、その忍びの集が住む場所を「忍ば不」→「不忍」と称するようになったそうです。
忍びの集の棟梁の5代目、という方が教えてくださったお話でした。