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私たちの仕組み:「(エゴの)マインド」

加藤シャンティ徳子さんは著書「現実は脳ではなくハートでつくる」の中で、
私たちという存在と私たちの体験する現実がどのように成り立っているのか
私たちの仕組み」と「私たちが体験する現実の仕組み」について説明しています。
加藤シャンティ徳子さんは、私たちは、存在の本質・魂、ハート、感情、マインド(思考)、身体、の5つの要素でできている、と説明されています。
私も、このモデルで考えると理解できることが多いので、加藤シャンティ徳子さんのモデルを支持しています。

ひとつ目の要素「存在の本質」についてはこちら

ふたつ目の要素「」についてはこちら

3つ目の要素「ハート」についてはこちら

4つ目の要素「(ハートの)感情」ついてはこちらをお読みください。

5つ目の要素「マインド」には、2つの状態(働き方)がある、と加藤シャンティ徳子さんは説明をされています。

その状態のひとつは、ハートとつながってハートと調和している状態です。
その状態のマインドについては、こちらをお読みください。

この記事ではもうひとつの状態、「エゴのマインド」について、紹介します。

エゴのマインド

繰り返しますと、
加藤シャンティ徳子さんは著書「現実は脳ではなくハートでつくる」の中で、「マインド」を、
分析的論理的な思考や知性のこと。時間や量などの数的な概念や、空間や物質などの物理的概念、物事や社会のシステムや法則など、様々な概念やシステムや法則を理解したり、それらを使って考えたりするもの、
シンプルに言えば、思考や知性、頭、考えなどと言われているものを指します、
と説明しています。

また、
マインド」は、私たちの中にある思いや願いを実現するために、この世界の物理的法則や社会的なシステムのもとで、「何を、どのような形で、どのような順序でしていけばいいのか」を見つけ出し、それを実行するために意志の力を使って、身体に行動を起こさせようとします。
また、その際、絶対的に物事を認識する「ハート」に対して、「マインド」は相対的に物事を認識するので、何かと比較したり、データを参照したり、何かとの関係性の中で評価したりして物事を認識し、順序立てて情報を処理したり、論理的知性を発揮します。また認識できるものごとや範囲には限界があります。

私たちの「ハート」の願いや思いについて、マインドが働くときは、マインドはハートの思いに従ってハートとともに働きハートの願いを実現して体験するために働いてくれます

しかし、ハートとのつながりを失って単独で働く状態にある時は、「マインド」はエゴの願いが実現するように働き、ハートの願いが実現することを妨げます、
と加藤シャンティ徳子さんは説明されていて、「エゴマインド」と表現されています。

「エゴマインド」は、ハートとのつながりを失って、ハートから分離した、混乱したマインドで、ハートの思いを無視して、単独で働くマインド。

エゴマインドが求めるものは、
・自分自身や自分自身が大切だと考える人だけの利益や幸せにつながること
・短期的な快楽を得ること
・目の前の不快感や苦痛を避けたり、適切な時を待たず今すぐにエゴマインドの欲求を満たすこと
と、しています。
また、自分自身があらゆる存在から分離しているという認識を持っているため、疑いや不必要な恐れや不安などの否定的な感情を生み出します

そして身体を、エゴの願いを実現するために行動させ、体験しようとします。

ですが、エゴの思いも、その根本には実現することができなかった「ハートの思い」がある、と加藤シャンティ徳子さんは説明されます。
ある特定の状況下で自分が恐れや不安や脅威を感じた時に、自分自身のこころや身体を守ろうとして生まれてしまったものが多く、たくさんの勘違いや思い込みや幻想を持っているマインドで、エゴの声に耳を傾けたり、適切に対応することで、ハートの思いに気づきやすくなるきっかけになる場合がある、とも説明されています。

なお繰り返しますが、
mindは日本語で「心」と訳されたりもしますが、加藤シャンティ徳子さんは著書「現実は脳ではなくハートでつくる」の中で、「感情+マインド」を「」と呼ぶ、としています。このように、加藤シャンティ徳子さんの「ハートの論理モデル」では「ハート」と「心」は別物として扱っています。
ですので、加藤シャンティ徳子さんの「私たちの仕組み」では、「ハート」とのつながりを失った、あらゆる存在と分離した意識を持つ「心」も存在し得ることの説明が付きます。

また、このような状態にあっても、ハートは常にコールやインスピレーション、ヴィジョンやイメージを、絶えず生み出しています。

このような状況を、アラン・コーエンさんは著書「癒しのマスター・キー」の中で、次のように表現しています。
「神は人間を見捨てたのではありません。
 癒しの源である神に背を向けたのは私たち自身なのです。」

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