キプチョゲは克った

約10ヶ月前、こんな記事を書いた。

簡単に言えば、負け癖を付けないためには、明らかに目標が達成できないレースはリタイアしてしまうのもアリだ。というリタイアのススメである。いつでも「勇気ある撤退」が賢いというわけでもなく、一方で、いつでも「それでもやりきること」が賢いというわけでもなく。次のレースをより速く走れそうな選択肢、あるいは明日からの練習がスムーズに進められそうな選択肢を選べばいいんじゃないかと思っている。

2020ロンドンマラソン、優勝候補のエリウッド・キプチョゲは2時間6分49秒で8位に終わった。この結果について、本人のインスタグラムアカウントにて以下のように述べている。

After 25 kilometers my ear blocked and it couldn't open anymore. But this is how sport is, we should accept defeat and focus for the winning next time. Thanks for the support.

25km地点以降は、耳が全く聞こえなかった。しかし、これがスポーツというものだ。わたしたちは、負けを受け入れ、次の勝利に狙いを定めるべきだ。応援ありがとう。

キプチョゲの戦績をざっと振り返ってみよう。

2013.05 ハンブルクマラソン  優勝
2013.09 ベルリンマラソン 2位 世界歴代4位
2014.04 ロッテルダムマラソン 優勝
2014.10 シカゴマラソン 優勝
2015.04 ロンドンマラソン 優勝
2015.09 ベルリンマラソン 優勝
2016.04 ロンドンマラソン 優勝
2016.08 リオオリンピック 優勝
2017.09 ベルリンマラソン 優勝
2018.04 ロンドンマラソン 優勝
2018.09 ベルリンマラソン 2:01:39 優勝 現世界記録
2019.04 ロンドンマラソン 優勝

常勝の王者。もはや勝って当たり前の状態だ。当然、今大会も優勝するだろうと見込まれていた。

自分がそんなキプチョゲの立場でこのロンドンマラソンを走っていたら、耳が完全に閉塞した25km地点でどう思っただろうか?
・このペースで走り続けたって、記録は更新できないな。
・苦しい。周りのランナーに勝つことすら絶望的だ。
・まして、2時間切りだなんてとんでもない。
・俺は、さらなる記録を樹立して、人類の限界に挑むんだ。
・だとしたら、調子の悪いまま走って何になる?
・このレースを完走することに、何の意味がある?
・こんだけ期待されてて、かっこわるいぜ?
・リタイアして、次に備えるべきなんじゃないか?

・・・・と思ったかもしれない。

しかも、ケニア人ランナーは日本の市民ランナーのように完走に対する信仰が強くはなく、思わしくない場合はけっこう平気でリタイアする傾向にある。

しかし、キプチョゲは走り切った。8位でゴールした。

前々から考えていたことがある。ぼくは、キプチョゲの言う「克己心」というのが何なのかよくわからなかったのだ。甘いもの食べたくなったりするのを我慢したりとか、そういうことかな?程度に思っていた。

ある時、彼はこんな式を書き留めた。「意欲+克己心=一貫性」。強調マークをつけて記した。

キプチョゲは、負けとわかっているレースを最後まで走り続け、「レースに負けた自分」を自分自身に刻み込んだ。こうして、キプチョゲの言う通り「負けを受け入れ、次の勝利に向かう」のだ。これが、キプチョゲの「克己心」を象徴しているのだと思った。そして、その「克己心」こそが、キプチョゲの強さの一つなのだとわかった気がする。

36歳キプチョゲは、まだまだ終わっていない。

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