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思い出散歩
父が亡くなって数年、片付けもだいぶ進み、最後まで手を付けていなかった段ボールを開くことになった。写真が趣味だった父。どこへ行くにも首からカメラを提げていた。建築士という職業柄もあって、現場の記録をすることが主な目的だったようだが、家族写真も多く残っている。冠婚葬祭飲み会に旅行、どこでも撮りまくるので少し鬱陶しく感じることもあった。カメラがまだ特別な趣味だった時代、「ここに立て、あそこに立て」と指図をされ、周りの目を気にしながらセッティングを待っていたせいか仏頂面の自分が写っているものも少なくない。しかしおかげでたまには貴重な写真が出てくることもある。
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おそらく昭和40年前後の葉山、鐙摺港。現在と比べてみた。
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右奥に見える小高い丘は大崎。手前の逗子海岸と向こうの小坪、逗子マリーナを隔てている。丘の上には公園があり、かの有名な披露山の高級住宅地を抜けて行くことができる。この下の海はちょっとしたサーフスポットで、波のいい日には地元のサーファーで賑わう。自分もSUPはするがもっぱらプカプカするだけだし上級者のジャマになるのであまり近づかない。
さて、手前の船には「長三郎丸」とある。代替わりでもしたんだろうか、現在では「郎」の字が「朗」に変わっていたが「長三朗丸」も健在で、木造からFRPになった立派な船が所狭しと並んでいる。
ちなみに鐙摺港の裏手に旗立山という小さい山があり、登ってみると江の島方面を眺めることができる。かつてはここから三浦の軍勢が小坪での合戦の際、旗を立てて見方を鼓舞したらしい。頼朝がこのあたりで馬に乗る際の鐙を摺ったので鐙摺という名前が付いたとか。
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風景自体はさほど変わっていない。鎌倉時代はもっと見晴らしがよかったことだろう。しかし父はなぜここから写真を撮ったのだろうか。この辺は家からも駅からも歩くにはちょっと距離がある。この頃の父は車の運転はおろか自転車にも乗っていないはず。仕事の帰りにバスに乗って寄り道でもしたんだろうか。友人に誘われて釣り船にでも乗ったんだろうか。家族も友人も写っていない。郷愁にかられてふとシャッターを切ったのかもしれない。
郷愁が郷愁を呼ぶ。