見出し画像

#1自己紹介

みなさん、こんにちは。川島直樹です。X(旧Twitter)では三浦直哉と名乗ってます。(三浦龍司選手から)

埼玉県で陸上競技者・市民ランナー&ウォーカーとして活動しています!よろしくお願いします!


noteを始めてみることにしました。
理由は、①日々の練習・レース、病気の病状・闘病の記録を詳細に記録することです。
他にも、②陸上関係の雑談、③シューズ・ギアレビュー、④ヲタ活の話なども記したいと思っています。

多くの方と交流したいので、暇つぶし程度に読んで頂けたら幸いです。
文才がなく、読みづらいかもしれませんがご容赦ください。


〇自己紹介


23年 7/28〜29の越谷陸上選手権 800mと5000mを完走

       氏名: 川島直樹 (かわしま なおき)
生年月日: 1999年5月19日
       出身: 埼玉県川口市 (旧鳩ヶ谷市)
    出身校: 城西川越高校中退→鳩ヶ谷高校→学習院大
       在住: 埼玉県川口市
最高成績: 中学時市内大会800m7位(新人戦), 学総市内予選800m8位
自己ベスト:  800m:2'10"25 (2014年)
                    1500m:4'34"10 (2015年)
                    3000m:10'12"27 (2015年)
                    5000m:18'00"11 (2015年)
 その他 100m: 13"10 (2014), 400m: 56"17 (2014)

競技復帰後の社会人ベスト (全て2023年)
      800m:2'26"33
                     1500m:5'02"91
                     3000m:11'27"77
                     5000m:20'06"82

上記のプロフィールの通り目立った実績・タイムはありません。県大会出場経験などもありません。

ただ、子どもの頃からかけっこや持久走、幼稚園・小学校のマラソン大会など、走ることが好きで、幼少期から父と公園でよく走ってました。

2012年に中学1年で陸上競技を始め、長距離を選びました。最初に走った1500mが5分12秒くらい。市内学総の1年男子で決勝に進出するもブービー。部員は少なく練習は辛いけど楽しかった思い出です。その後一時タイムが伸び悩みましたが、中2の5月にセンゴで初の5分切りしたのは今でもよく覚えています。中学2年時の市内学総800mは2'19"で予選落ち。同年秋の新人戦の市内予選800mで予選を通過し7位入賞出来たことで陸上がとても大好きになり、「県大会出場」を目指して練習しましたが中学3年の市内学総800mは決勝8位と夢は叶わず。才能がないのは分かっていたけど高校でも迷わず陸上部に入部。当時5000mを走っていた2つ上の先輩がカッコいいな..と思い中距離から長距離に移行して、入学直後の5000mで18分フラット。高校1年の国体予選のB3000mで10'12"。夏に1500mで初めて4'40"を切り、その後の新人戦は距離を伸ばして5000mに出場もまた18分切れず。長距離部員が少なかったため特にレギュラー争いなどもなく埼玉県高校駅伝2区を走るも11分近くかかって順位を大きく落とし惨敗、悔しさを糧に冬季練習を積んで、自分でも力が付いてきたと実感してきた矢先の高校2年時に病気を患いました。陸上・練習ができなくなり、日常生活でも身体に痛み・疼痛があり、部活は見学&手伝い、授業中も身体が痛い病気で本当に辛く、通院の事情や先生の無理解などで部活も休部・学校自体も休みがちになり、クラスにも部にも居場所がなくなり高校も辞めざるをえなくなりました。

このような経緯で一度はやむを得ず陸上から離れるも、その魅力がずっと忘れられず、大人になった今2023年に陸上の舞台に戻ってきて今に至ります。

 〇市民ランナーとしての目標


市民ランナーとしての最大目標は、嶋津雄大選手、山田桃愛選手のように(おこがましくてごめんなさい)、「競技を通して、自分の病気を社会に知ってもらうこと、病気でも競技をしていることを多くの方に知ってもらうこと」と、
「多くのレースに出場してゴールすること」「できる限り長く競技を続けること」です。
タイムや自己ベストも狙ってないと言ったら嘘になりますが、あくまで闘病中の身ですし、楽しむことを第一に、市民ランナーとして色々な経験をしたいと思っています。

 〇持病で絶望のどん底まで落ちたことに関して

私は2016年に「慢性疼痛 (病態としては中枢性感作という呼称が正しい)」という病を患いました。
症状としては、一言で言うと、身体の何処かに不随意に痛みが発生する
こと
です。
四六時中、身体の何処かに疼痛が生じて、重症だと日常生活を送ることも困難になる病です。


私の場合は、両足を中心に顔や頭皮、目、口内、首、胸、背中、腰、股、陰部など、身体の何処かしらに疼痛を常に感じていて、複数箇所に同時に痛みが出ることもあります。疼痛の種類も多岐に渡り、「炎で焼かれているような灼熱痛」や「ナイフで刺されているような鋭い痛み」や、「重しが乗っかっているような鈍痛」や、「チクチク・ズキズキと痛む疼痛」など、痛みを感じる部位も感じ方もさまざまです。明確な治療法は確立されていません。

市内から遠方まで10カ所以上の病院を回り、薬物療法や非薬物療法なども試しましたが、痛みが減ることはありませんでした。今は大学病院に通っています。
この病気が高校生の時に発生し、走ることはおろか学校に通うのも困難になり、大学への推薦も失い、望んでいた職に就くことは諦めざるを得ず、人生を大きく狂わされました。


それからは大学の時間以外は治療に専念していたのですが、子どもの頃から走ることが大好きで、「レギュラーになりたい、速くなりたい、勝ちたい」との思いから、一人で朝早く学校で朝練習していたくらい大好きだったので、陸上が諦めきれませんでした。「走れない自分」は自分ではなかったです。


陸上に代わる趣味も模索しましたが(読書やアクアリウムなど)、やはり陸上競技を超える楽しみが見つからず、自分が走れないのに陸上のインターハイや日本選手権、箱根駅伝を観る → 自分は走れず落ち込む →でも観たくて観てしまう  なんてことが数年続いていました。この頃は、まさに魂が抜けた抜け殻のようでしたね。

 〇転機

転機となったのは主治医から推奨されていた散歩でした。2016年の12月に勧められてから数ヶ月は20分~30分ほどやっていたのですが、痛みが治らない・減らないのでやめてしまいました。
それを2021年の秋くらいから再開し、痛みを感じながらですが、近所を数百mほどゆっくり歩くことから、慣れてきたら徐々に軽く息が弾む早歩きにしたりしていました。

また、時系列が前後しますが2017年頃に、難病でも順天堂大学で陸上・駅伝を続けている「花澤賢人さん」の存在をドキュメンタリー番組で知りました。トップ選手でかつ、病気でも走っている方がいることに、刺激は受けましたが、当時の私は歩きで精一杯で、「全然違う病気だし」と、TVの向こうの花澤さんを観ていました。
それでも、「やはり自分は陸上がやりたい・陸上の舞台に戻りたい」と

という思いが湧き、たとえ走れなくとも陸上競技の一つである「競歩

を目指すことにしました。
競歩のルールや歩き方をネットで学んで、現役時代に使っていたGarminを引っ張り出してきて、持病の痛みに耐えながら、断続的にはなってしまいましたが、最初は2〜3kmから、1年後の2023年2月頃には最長で15kmを歩くことができました。
ただ、やはり競歩ではなく走りたいという思いも強かったです。

また、自分でも痛みについて調べたり、主治医に質問をしたりして、「痛みが脳の誤作動ならば、その部位に機能的な異常はなく、運動しても大丈夫なはず」という仮説を立てました。

かなり長くなってしまったので、

#2自己紹介
に続きます。(^^)




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集