【書評】 地井昭夫 著『漁師はなぜ、海を向いてすむのか? 漁村・集住・海廊』
幻想をこえて漁村を見る
評者 | 中尾直暉 (@_nko_nok)
表題に掲げられた問いを見て、すぐに答えを思いつく人は少ないだろう。なぜなら、現代の日本に生きる私たちは、漁師が海を見て住んでいるような海辺に巡り合う機会がほとんどないからである。日本の臨海部の都市では、近代化の過程で、工業、物流産業、軍事産業が重視されて開発がすすめられてきた。その結果、生活と海がともにある風景は過去のものになるか、地方の漁村に限られたものになった。
また、2011年の東日本大震災後の都市復興では、巨大防潮堤の建設と生活領域の高台移転などの政策が多くの都市で採用された。津波のリスクを下げるためとはいえ、これでは生活と海との距離はますます遠ざかる一方である。四方を海に囲まれた日本において、人間の生活と海との関係を再度考え直す必要があるだろう。そのときに、歴史の価値を重んじる人であれば、日本古来の漁村を研究することが問題解決の糸口になると思うのは、自然なことだろう。
地井昭夫(1940-2006)は、生涯をかけて日本の漁村を研究してきた建築家である。吉阪隆正とともに大島元町の復興計画に携わったことを契機に漁村研究を開始し、日本中の漁村を対象に様々な視点からフィールドワークを行ってきた。民俗学的なアプローチから建築空間の提案を行う姿勢は、早稲田大学の今和次郎-吉阪隆正という系譜が影響している。地井の死後にこれまでの著述をまとめて出版されたのが、『漁師はなぜ、海を向いてすむのか? 漁村・集住・海廊』である。地井は、漁村のフィールドワークを通して、日本の都市が海からの視点を取り戻すべきであると何度も訴えてきた。一見すると懐古主義にも取られかねないその主張は、本書を読めばすぐに納得させられる。懐古主義を超えた鋭い分析が、本書の至る所に散りばめられているからである。私が感銘を受けたのは、分析内容よりもむしろ、地井昭夫の集落への向き合う姿勢であった。
地井昭夫『漁師はなぜ、海を向いてすむのか? 漁村・集住・海廊』著 重村力/編集 幡谷純一/編集 地井童夢/編集 三笠友洋
集落の幻想性
著者自身も第一章の「集落に何を見るのか」という項で述べているように、現代人が集落を見るときに注意しなければならないことがある。それは、集落を古いもの、ヒューマンなもの、共同体的なものとして理想化し、そこから思考停止しないようにすることである。これらの特徴は集落の特徴のほんの一部であって、本質ではないと著者は言う。著者のまなざしは、以下の文章に要約されている。
「封建社会の末端に閉じ込められた過酷な日々、あるいは過酷な労働の毎日、あるいは息を殺しあうような人間関係、このような人間の<集まり>のなかで、いかにして人々は人間的連帯を築き上げ、集団としての創造をなし得たかという方向に向かって歩まなければならない。」p.30
著者がこれほど集落の理想化を避けてリアリズムに徹しているのは、集落という存在が幻想性を本来的に持っているからである。それは、第4章2節「山城を築きて国家と対決致し候」での、蜂の巣城闘争についての分析を読むとよくわかる。蜂の巣城は、1960年に大分県下筌ダムの建設に対する抗議活動として、住民が建設予定地の崖地につくった仮設的な集落である。
画像出典:http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2775
「住民の多くは蜂の巣城に住民票を移し、色とりどりの花の咲く花畑や野菜畑が作られ、村の女たちによって炊き出しが行われた。そして50羽のアヒルも飼われて、人々の目を和ませるとともに、その卵は貴重な食料となった。そして例えば、奥山から導かれた水は、砦場の池に貯水され、そこからビニールパイプや竹樋で各小屋群に配水され、炊事場の生活用水となり、その排水がアヒル小屋の汚物を洗い流して下の津江川に放流されるという見事なシステムを持っていた。」p.144
蜂の巣城の住民は集落存続をかけて建設省との闘争を繰り返しつつ、上記のようなユートピア的な集落の風景を仮設的につくりだしていた。彼らにとっては、斜面一面に展開するユートピアを維持することが抗議活動になっていたのである。また、抗議運動のリーダーである室原知幸の思想については、「蜂の巣城における村づくりという、村落共同体の原初的形態を回帰的に幻視していたのだということができるだろう。」(p.145)と著者は述べている。ここで言う原初的形態とは、中世における山城と根小屋で構成される惣村のような、居住地と防御の場が有機的に組み合わさった生活共同体のことである。
以上のように、蜂の巣城は、惣村という集落が持つ幻想性が抗議活動という形で可視化された例であるといえる。地井は、このような幻想性の存在を認めてはいながらも、それを超えた客観的な視点で分析することを重視していたのである。
書誌
著者:地井昭夫
書名:漁師はなぜ、海を向いて住むのか?ー漁村・集住・海廊
出版社:工作舎
出版年月:2012年6月
評者
中尾直暉 (@_nko_nok)
1997年 広島県広島市生まれ
1999年 長崎県佐世保市で育つ
2016年 早稲田大学創造理工学部建築学科 入学
2020年 早稲田大学創造理工学部・研究科 吉村靖孝研究室所属
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