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太宰府天満宮【福岡県太宰府市】

日本三大天満宮の一つ

太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらのみちざね)を御祭神とする「天満宮」の総本山であり、「北野天満宮」(京都府京都市)、「防府天満宮」(山口県防府市)と並ぶ「日本三大天満宮」の一つです。
菅原道真がすぐれた学者であったことから、「学問の神様」として広く信仰されています。

社号標
社号標の隣に立つ三の鳥居
太鼓橋からみた心字池と今王社
麒麟像と鷽像
楼門

御祭神「菅原道真」

菅原道真は平安時代前期の政治家・学者で、幼少の時より和歌や漢詩を詠むなどの学識ぶりを発揮しました。
894年、道真は遣唐大使(遣唐使の長)に任命されますが、唐での度重なる内乱による不安定な情勢を踏まえて、遣唐使の再検討を求める建議を提出しています(唐は、その後907年に滅亡)。
また、宇多天皇からの絶大な信頼を得て、899年(宇多天皇の譲位後)、右大臣に任命されます。
しかしながら、当時の政敵である左大臣・藤原時平による讒言(ざんげん)により、時の醍醐天皇の怒りを買い、太宰府に左遷されます(昌泰の変)
そして、左遷から2年後、道真は失意のうちに亡くなってしまいます。

※讒言:虚偽の内容を密告して、他人を陥れること

死後、道真の遺骸を牛車に乗せていたところ、急に牛が動かなくなりました。これは道真の思し召しであろうと考え、現在の天満宮がある位置に霊廟を建てて、埋葬しました。
一方、平安京では疫病や異常気象、また藤原時平が若くして死去するなど、不吉な出来事が続き、これらのできごとを「道真の祟り」と恐れて、その祟りを鎮めるため、社殿を造営したのが、太宰府天満宮の始まりです。

参拝して

「学問の神様」菅原道真を祀る「天満宮」の総本社であることから、外国人観光客だけでなく受験生と思われる人も目立っていました。
また、梅の木がたくさん植えられていることから、梅の花が咲くころには多くの参拝者が来られることと思います。

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