ハート(真我)に心(自我)が吸収される。
思考(心)というのは、ハートを源として起こります。
心は普段、ハートという家を飛び出して、ウロウロしています。
でも、眉間の奥──頭の内側にある霊的な気づきのセンターに意識を向けた時(気づきに気づく)、心は身動きができなくなって、頭から下に自動的に落ちてゆきます。
心が胸にあるハート・センターに吸収されはじめます。
そして、本来の自分がいるべき場所(家)にとどまるようになるのです。
この感覚が努力なく、持続すると(気づこうとすることなく、穏やかに気づいている状態)、条件付けの無い幸福がつづくようになります。
あるいは、無思考の状態が頻繁に訪れるようになります。
眉間の奥━━頭の内側の気づきのセンターが活性化して、下腹に気が落ち着くようになると、瞑想中に呼吸を無理に止めようとしていないのに、長くなって、しかも、苦しくない状態になります。
現象の世界にそれほど影響を受けなくなるのです。世界が夢である、という感覚が強くなってゆきます。
呼吸の長さと思考の量は比例しています。
それがグルメであれ、美男美女であれ、視覚が捉えている欲望というのは、気づきのセンターが安定化していないから起こるのです。
欲望というのは、捨てようとして、捨てられるものではないのです。
それは目覚めが進むのと同時に勝手に落ちてゆきます。
そして、欲望を追いかけている時、幸福ではない、と言う感覚も芽生えます。
何かを追いかけている時というのは、気が頭に上ってゆき、騒がしくなるので、ハートの幸福からほど遠くなるのです。
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そもそも、「ハートの中にとどまりたい」という思いを持つこと自体、普通ではないんです。
ハートの中にとどまる、ということは外側の世界に対する興味を失うことだからです。
もし、あなたが「ハートにとどまりたい」と思われているのなら、あなたは祝福されたひとです。
そのような聖なる欲求はほとんどのひとには、起こりません。
スピリチュアルな探求をしている人たちでさえ、自我の願望を叶えることで必死になっています。
つまり、心(思考)の働きを強めているのです。
ハート・センターに心が吸収されはじめると、執着がなくなります。
「ぜったい〇〇を手に入れたい」というような欲望がなくなるんです。
もちろん、生活に必要な基本的な欲望は残りますが、起こることを淡々と受容できるようになるのです。
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瞑想やヨガに興味を持つ方々というのは、魂が、普通ではない欲望を持っているのです。
そのような人は、心の底から真我(ハート)に帰りたい、という欲望が人生のある段階で生まれてくるようです。
他のものは何もいらないから、魂の故郷にただ、ただ、帰りたい、という聖なる欲求が生まれてくるのです。
そして、何世もかけて、目覚め(悟り)へと至るために生まれ変わってくるのですが、
聖者や賢者、覚者と呼ばれる人たちと出会うことや、瞑想やヨガに専念できる家庭環境に生まれてきたり、親や配偶者からの理解を得ることも真摯に取り組んできた結果と積んできた功徳によるものなのだと思います。
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今週のサットサンは11日(土)の13時より開催します。
zoomにて無料。入退出自由。
参加を希望される方はこちら↓まで。
naokifloweroftheheart@gmail.com