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繊細だからハートと繋がることができる。
10代の頃から自分が繊細すぎて、かなり生きづらい思いをしてきたのだけれど、最近になって、それで良かったんだな、と思うようになった。
繊細さと言うのは、ハートがひらいている証拠だ。
普通、ハートは閉じている。この現象の世界においてはハートを閉ざさないと生きていけない。
一円でも多くお金を稼いだひとが賞賛される競争社会で、孤独に生きている魂たちは、ひとりぼっちではない。
ハートに深く入っていった時、真の「親」とも言うべき存在がずっと、見守っていたことを知る。
あなたはひとりぼっちでこの現象の世界を生きているわけではないのだ。
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繊細で優しすぎる方々には、ハートに祈るように勧めたく思う。
「ハートのひと」からは独特な甘い香りがする。
そのひとと直接会わなくても、画面越しにそのひとの声や雰囲気を感じるだけで(メールの文章を読むだけでも)ハートがあたたかくなる。
昔から知っている兄弟や姉妹に会ったみたいに、懐かしさを覚えるのだ。
言葉を話さなくても、ハートとハートがコミュニケーションを取っている。
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感受性が強ければ、ハートの中に深く入っていける。
ハートがひらいているということ自体、素敵なギフトだ。恩寵である。
ハートが閉じている場合、いったい何に向かって祈り、何に明け渡すことができるのだろうか?
本当の意味での平穏──現世的な幸不幸を越えた平穏を感じるセンターはハートだ。
魂と言うのは、究極的には、お金や、パートナーを得ることだけでは満足できない。
魂は「家」に帰りたい、という根源的な欲求を持っている。
ハートに深く深く入ってゆくには、苦しみや悲しみを感じることを避けて通れない。
そして、それができるのは、繊細で感受性の高い勇敢な魂だけだ。
最近、僕にもひどく打ちのめされる出来事が起こったが、その苦しみと一緒にいると、ぐんぐんとハートの中に入り込んでゆくのが分かった。
そして、ハートの中の神聖な「母親」がこっちに帰って来なさい、と迎え入れてくれた。
あちこちをさ迷っている心(自我)は苦しいことがあった時、ハートに沈みこみやすい。
ハート・センターに心(自我)が沈みこんでゆくと、理由のない平穏を感じる。
「家」に帰ってきた、という安心感に包まれる。
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繊細な人は現象の世界で大変な思いをすることが多いと思うけれど、源泉である「神の愛」にたどり着くには最適な気質を持って生まれている。
だから、それを誇りに思うべきだ。
そして、もっと自分に優しくしないといけない。自己否定をしないこと。
もっと自分に寛容になって、ハートに抱きしめられることを自分にゆるすこと。
ハートにつながれるようになると、たとえ、心(自我)が動揺するようなことが起こったとしても、その時は、必要があって、その状況が起こっている、ということが分かる。
ハートと深くつながって、信頼し、くつろぐこと。
あなたの繊細さは祝福されている証拠だ。
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今週のサットサンは30日(土)の13時からです。zoomにて無料。入退室自由。カメラとマイクはオフで構いません。
参加を希望される方はこちら↓まで。naokifloweroftheheart@gmail.com