あなたを親戚のように感じた。
男性のI様とはもう何度も対話させて頂いている。
I様は僕の父親と年齢が近いが、とても純粋な方だ。
普通、ひとは年齢を重ねる毎に純粋さを失い、厳しさや社会性を身に付ける。
でも、I様は子供の心を持ったまま、大人になったような優しい方だ。
だからこそ、繊細すぎて生きづらさを抱えておられた。
正社員としてバリバリ働くことよりも給料は少なくて良いから、自分のペースでできるアルバイトをされている。
「あなたのことを好きなのは、あなたが悟っているからという理由ではなく、あなたの人柄なんです」
「僕はそれほど善い人間だとは思っていません」
「……あなたからは愛が感じられるんです」
I様は「自分は悟りが何か分からない」と言われるので、僕は「別に悟らなくても良いんです」と答える。
〇
それぞれの魂というのは、歩む道が異なっていると僕は思う。
愛や奉仕の道に進む人もいれば、瞑想をして悟りたい、と思う人もいる。
今まで対話してきた中で、「このひとは瞑想をやらなくても良い」と思うひとが何人もいた。
そういうひとには瞑想を勧めない。
僕はI様に「愛の道を進んでください」と言った。
「悟りの道」と「愛の道」は異なるように見える。
でも、悟りの境地は慈悲心を伴う。
だから、他者に対する愛や慈悲心を持つことができるのであれば、悟らなくたって良いのだ。
誰かのことを思いやっている時──
他者を自分のことのように慈しんでいる時──
そこにエゴはない。
○
20代の前半、知り合いの福祉活動を手伝っていた時、高齢者の車椅子を押させてもらったことがある。
若い頃、社交ダンスの教室に通っていて、親に反対されながらも、そこで出会ったひとと結婚した話。贔屓にしている大相撲の力士が、調子を崩していて、残念に思っていること……。
そんな話に耳を傾けながら、ゆっくりと車椅子を押して歩いていた時、そこにエゴは存在していなかった。
〇
もし、僕がずっと家の中に引きこもって瞑想だけをやっていたとしたら、愛のことが何か分からなかったと思う。
なぜなら、他人とのかかわり合いの中でしか、慈悲心をはぐくむことはできないから。
愛の道を歩むひとは共感をするひとだ。
この道を行くひとは難しい瞑想などをする必要はない。
〇
ある朝、電車に乗っていた時、向かいの席で中年の女性が眠っていた。
もちろん、そのひとと話すことはなかったけれど、彼女が疲れ果てていることが分かった。
垂れた頭には白髪が混じっていた。仕事帰りだろうと思った。
そのひとのことを観ていると、ハートに悲しみが湧き起こり、
彼女のことを自分の親戚のように感じたのだ。
「あなたは多くの人の苦しみを背負っているんですね」
とI様は僕に言った。
僕が人々の苦しみを背負っているのかどうかは分からない。
でも、ハートを生きるということは、他者の痛みや苦しみに敏感になることだ。
だから、必然的に生きづらくなる。街を歩いていて、悲しそうなひととすれ違うたびに、自分まで悲しくなってしまうのだから。
でも、もし、誰にも共感できないとしたら、人生に度々訪れる──涙が溢れるほど美しい瞬間を体験することはできないだろうと思う。
僕の話を聞いていたI様はどこか感じ入るところがあったのだろうか、顔を赤くして俯かれていた。
やがて、I様は「ハートの奥深くであたたかいものを感じました。あなたの慈悲の心が僕のハートと共鳴したんです。」
我々はただ静かにしていた……。沈黙の恩寵に身を浸している時、浄化が起こる。
「Naokiさんは普段、苦悩を感じたりしないんですか?」
「感じます。」
「たとえば?」
「自分は社会一般的に褒められる人生を送って来ませんでした。今もそうです。だから……」
両親に恩返しをしたい、という思いがずっとある。
大企業に入って結婚していれば、今頃、孫を親に見せて喜ばせることができただろう、と思う。
でも、自由意志ではどうしても動かすことができない「核」のようなものが僕の内側にある。
そんなの言い訳だ、努力が足りないのだ、と言われたら、それまでなのだけれど……。
〇
以前、対話をした子供を持つ女性が、
「自分の子供には親孝行なんてしてくれなくても良いから、笑顔で生きていてくれればそれでいい」
と言ってくれ、それで救われたことがある。
その日を境に「親孝行」と言う言葉を僕は独断と偏見で勝手に定義することにした。
僕にとっての「親孝行」とは、
自分の話を聞きに来られる方々を自分の親だとみなして、そのひとに奉仕し、できれば喜んでもらうことだ。
僕の対話に申し込んでくれる方のほとんどは僕の両親と同世代だ。
そして、僕はその方々を他者だと思っていない。
自分の親か、あるいは親戚だと思っている。
〇
「Naokiさん、これからもどうか長生きしてくださいね」とI様は僕に言った。
以前、偶然知り合った霊能者の女性に、「あなたが白髪のおじいさんになった姿がはっきりと視えるわ」と言われたことを冗談半分で話すと、
I様は「それは良かったです」とにこやかに笑っていた。
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