今日は、読者の方とのやり取りを公開します。
質問の内容は僕がいつも書いている「受容」についてです。
僕からの返信↓
質問者さんからの返信↓
僕からの返信↓
まとめ。
質問者さんが「感情を受容することによって、カタルシス(浄化)や解消が起こるのを期待していた」と書かれていた通り、
多くの方が受容することの結果を期待しています。
もし、単純にネガティブな感情を解消することを目的とするのであれば、極端な話、筋トレをしたり、カラオケで大声で歌うことでも良いのです。
ですが、僕が言うところの「受容」と言うのは、何も起こらない、ということです。
ただ静かに、受け容れてゆくことなんです。
それは瞑想や色々なワークでも同じです。
「この瞑想や呼吸法をすれば〇〇の結果が得られて、悩みから解放されて、素晴らしい未来を引き寄せられるだろう」と思っている方が多いようです。
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「苦しみが恩寵」という理由の一つには、
「気づき」としての本当の自己が、「苦しんでいる心と身体」から離れるきっかけになるからです。
多くのひとは本当の自己を身体と同一視しています。
「気づき」としての自己を見出すことができると、
苦しんでいる心と身体を離れたところから「観る」ことができるようになります。これが最初の解放です。
やがて、「観る」ということがただ「在る」になってゆくのです。
「在る」ということは完全な受容です。
ハート・センターに意識がとどまるようになると、「私は在る(I AM)」という感覚がでてきますが、
その前段階として、「気づいている自己」を見出さないといけないかもしれません。
なぜなら、ほとんどすべてのひとが思考及び感情と一体化しているからです。
そして、気づきとハートが一つになると、「私は在る(IAM)」になります。
「私は在る(I AM)」は、
楽しみと苦しみ、良い出来事と悪い出来事を静かに抱きしめているのです。
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色々と書きましたが、「受容」が何か分からなければ、ただ観ておく、ということをやってみると良いかもしれません。
何かあれば、気軽に質問してください。