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すべての出会いと別れはあなたの内側に源泉があることを教えてくれる。

僕はかれこれ、五年ほど恋愛をしていない。その理由は、自分の内側に全てがある、と知ってしまったからだ。

他者は自分の内側を映し出す鏡。

そもそも、恋愛をするからには、「他者の存在」が必要になる。

五年前、僕はあるひとに恋をしていた。相手の身分からして絶対に成就しない恋。

今では、「どうしてあんなに好きだったんだろう?」と不思議に思うほど何とも思っていない。

僕はそれから、瞑想を学んだ。そして、結局のところ、「全ては自分」、「源は自分の内側にある」という事を知った。

つまり、僕たちが他者を愛することができるのは、自分自身の内側に愛があるからだと悟った。

自分の内側に全てがある、と知ると、他人を自分のものにしようとしなくなる。

もちろん、人間はひとりでは生きていけない。助け合うことがなければ生きていけない。運命にそう書かれているのなら、パートナーや家族を持つことは自然と起こるだろう。

愛はあなたのハートの中にあって、それは太陽のように全体を照らしている。

もし、今度、他者に心を動かされることがあったら、自分の内側━━身体の感覚、もっと言うと、ハートの感覚を観察してみてほしい。

そして、そのエネルギーの動きをしっかりと感じるのだ。すると、あなたは、他者に求めていた愛が自分自身の内側にあることに気づく。

それはその特定の誰かが去っていったとしても──そのひとを失ってしまったとしても、まだ内側にある。

そして、いつしか、あなたは、こう思うのだ。

「何だ!全部自分の中に在るんだ!」と。

それに気づくことができれば、あなたは未練を超える。特定の誰かに対する恋や愛着ではない──全体愛を生きることになる。

それはハートから愛が満ち溢れるということだ。キリストはそのことを説きたかったのだ。

もし、誰かに執着している時、

そのひとのことを思う時に感じる内側のエネルギーを抱きしめてごらん。

それから、そのひとの記憶やイメージを捨てて、ただ内側の感覚だけを感じる。

すると、ハートの中に満ち足りた感覚がやってくる。

たとえ愛しい存在と離別したとしても、

あなたが内側でくつろいでいるのなら、そのひとはハートの中にいるのだ。

それが分かれば、執着を超える。愛別離苦を超える。

全ての出会いと別れはあなたの内側に源泉があることを教えてくれる。

もし、あなたがその源を見出せば、純粋な愛、静寂、平安が存在することに気づく。

その時、あなたが執着していたひとはいない。そもそも、誰も別々に分離していない。

そして、すべてがわたし、すべてが自分という大いなる気づきを得る。

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水曜日の午後9時から「執着を受容する会」を開きます。簡単な瞑想をした後、上記の文章で書いたワークを主にします。

ちなみに、僕は欲望や執着を手放しましょう、と言っているわけではありません。それらを握りしめている期間にでさえ、精神的な気づきがあるのだろうと思います。

でも、個人的に、欲望や執着はいずれ落とした方が良いと思うのです。なぜなら、「握りしめているもの」が重ければ重いほど、生きることの苦しみが増えるからです。

そして、僕がいつも書いている「ハートの平安=悟り」が遠のくからです。

手放すことよりも受容する。

手放しと言うのは、自分の外側にある執着の対象を「えいやっ!」と捨てる、というイメージですが、

受容は全てが自分の内側にあると気づくことで、執着が落ちる道なのです。

後者のほうが、やさしい方法ではないでしょうか?

ワークの後、質疑応答をします。

料金などありません、無料です。

所要時間30分前後。応答が展開すれば延長します。

zoomにて行います。

参加を希望される方はこちらまで↓

naokifloweroftheheart@gmail.com

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