夢見と癒しについて。
最近、夢見の効能について考えている。
僕が見る夢と言うのは、大抵の場合、幼少の頃から高校生までの記憶が元になっている。
もちろん、過去がそのままの形で夢に出てくるのではなくて、なにかしらの変化が加えられている。
たとえば、昨晩見た夢には自分とあまり関わりがなかった高校の同級生たちが僕の机の周りに集まってきて会話をしている風景だった。
ネイビーのブレザーを着た彼らは生徒会の役員をしていたり、体育祭でリレーを任されるような、自分とは一線を画すタイプの生徒だった。
それでも潜在意識において、僕はみんなと仲良くしたかったのだろう、夢の中でその少年は喜んでいた。
あるいは、女の子との思い出もそうだ。
僕は何度か書いているけれど、場面緘黙を患っていたせいで、特定の状況になると、一切声が出せなかった。
特定の状況というのは、主に学校の教室なのだけれど、そんな僕にも話しかけてくれる女の子たちはいた。
彼女は、性別関係なく誰からも好かれる大人びた生徒で、場面緘黙だった僕もなぜかその生徒となら会話することができた。
夢の中で、その寡黙な少年は西日が溢れる教室の一番後ろの席で化学の教科書をひらいていた。
そして、彼は横にいる彼女にぎこちなく話しかけている。でも、彼女の顔の輪郭はおぼろげではっきりしない。
そして少年の心はあたたかいもので満ち足りている──。
成人して、大人になってからも、自分では気づかないうちに孤独を感じたり、傷つくことがあった日の夜、同じような夢を見る。
そして、朝になり、目が覚めると、胸が軽くなり、癒されていることがある。
ところで、僕は高校を卒業した後、それまで女性と満足に話せなかったことが嘘だったかのように、自然な会話をすることができるようになった。
そして、多くの印象に残る女性たちと出会うことになった。
プロのダンサーや占い師、水彩画家……何枚もの原稿用紙を使うことによって、やっと描写することができるくらい個性的な女性たちと出会ったものだ。
それでも、不思議なことに彼女たちは僕の夢の中に出てくることはない。出てくるのは、僕がほとんど誰とも話せなかった時に、横で僕に微笑みかけてくれたその生徒のことなのだ。
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僕は思うのだけれど、生徒会で活躍していた彼も、リレーでアンカーを務めていた彼も、僕の隣で声をかけてくれた彼女も、結局、自分の一部なんだと思う。
僕はもう一生、彼らと会うことはないし、実際に会いたいとは思わない。
それでも彼らの心象は自分の内側の深いところに現在もしっかりと存在していて、心が傷つく折々に、内側の「欠損した部分」を眠りの間に補完しようとするのだと思う。
もちろん、過去を変えることはできない。
でも、自分の内側を変えることはできる。それは時に瞑想であり、時に夢見なのかもしれない。
ところで、自分を「癒すための夢」を見る方法が僕なりにある。それは寝る前に体操と瞑想をすることだ。
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寝る前に、だらだらスマホを観たり、解決する当てのない考え事をしながら、心身を緊張させて眠るよりも、
瞑想をし、リラックスをしてから、眠りにつくこと。
長時間やる必要はないのだ。5分でも10分でも良い。
瞑想のやり方は人それぞれあると思うけれど、
椅子に座るか、あるいはクッションや座布団をお尻の下に敷いて、骨盤を立てて、背骨を真っ直ぐにして座る。
リラックスして目を閉じ、視線は鼻先の斜め下に落とす。
腹式呼吸と共に、ゆったりお腹が膨らんだり、縮んだりするのを感じる。
思考がうるさければ、呼吸の観察をして、それを味うこと。
最後に横になってハートに感謝の祈りを捧げる。
そして、瞑想を終えると、あなたは眠りにつく。
あなたが眠りについた後、もしかしたら、夢を見るかもしれない。あるいは見ないかもしれない。
でも、朝目覚めてからの心の状態は寝る前のものと同じものになるはずなのだ。
なぜなら、あなたは自分を癒してから眠るのだから。