騒音掃除機
我が家に新しい掃除機が届いた。
今まで、藤田家ではコード付きでとにかく騒音が激しい掃除機をかれこれ6,7年は使っていた。吸引力は申し分なかったが、とにかくうるさかった。だから、母親に掃除機かけとって〜って言われるのが凄く嫌だったし、自分が昼寝しているときに母親が掃除機をかけだすことが凄く凄く嫌だった。でも、何故かその騒音掃除機を買い変えてほしいとは特に思っていなかった。
そんなこんなで、その騒音掃除機と長く共存してきたのだが、この前母親が新しい掃除機を買ってきた。アイリスオーヤマさんの掃除機だ。そいつがもう本当に優秀で、騒音掃除機の欠点を全てカバーしてくれている。コードレスだし、騒音はほとんどないし、とっても軽い。( #吸引力は騒音掃除機に若干劣る )
初めてその掃除機を手にしたとき、そいつが一瞬で好きになった。騒音掃除機に比べて、なんやこの素晴らしい掃除機は!騒音掃除機なんかもう絶対使わない!ってなった。
でも、一瞬で我に帰って、「うーん、でもよくよく考えたら多分今の掃除機って全部こんなもんよな。」ってなった。そして更に、「あーー、騒音掃除機と比べてるからこう感じるんだ。この掃除機自体がすごいというより、比較によってすごいが生み出されているんだ。」ってことに気付いた。( #掃除機かけながらもうめちゃくちゃ当たり前のことを分析している )
僕らって何かと何かを比較することで物事の価値を判断していることが多々ある。というか、比較することでその価値が認識できるんだと思う。これのおかげで、物事に優先順位をつけて生活できるし、昔に比べて人々の生活はどんどん豊かになっている。でも、その一方でこれってエンドレスだし、だから欲っていうのはなくならない。物事を相対的に判断しすぎることは危険だなーーって思った。
じゃあ、絶対的に物事の価値を判断してるものってなんだろうってなった。
何かと何かの比較で価値を判断してるんじゃなくて、別に比較してないんだけど、その価値や大切さを認識しているものってなんだろう。って。
アイリスオーヤマ掃除機が騒音を出さないためか、すぐ思いついた。
家族と大好きな友達。あと、人生の経験。お家も。そして水。
別に他の家族と自分の家族を比べることはないし、誰かの友達と自分の友だちを比べて友達の価値を認識しているわけでもない。ただただ、その人達をインディビジュアルで見ているというか、そもそも比較対象がない。でも、めちゃくちゃ良いって感じている。
水もほんとにそう。別に他の飲み物が嫌いとかじゃないし、他の飲み物と比較してるんじゃなくて、ただ水が好き。
多分、この概念は、赤ちゃんのママとパパが「うちの子供が世界で一番かわいい!」って言っている感覚に近いと思う。世界で一番!と言ってはいるけど、別に他の赤ちゃんと比べて、自分の赤ちゃんが一番ってなってるわけではない。そこには自分の赤ちゃんしかいない。
こんなことを考えながら掃除機をかけながら、「あーーこういう存在を大切にすべきだし、したいなー。」っていうところに着地した。そして、「絶対的にその価値を認識できるものを自分の周りに置きたいなー。」って。
相対的に物事を判断したら、永遠に欲はなくならないし、永遠に幸せにならない。資本主義の欠点である。
もちろん欲は大事だし、相対的に物事を判断することも大事だから、バランスはもっと大事。
それに、比較対象がなくなるくらいその存在自体に圧倒的な魅力がないとこれってなかなか難しい。でも、そういう人や物に囲まれた人生って超幸せだなーって。仕事にしても、物にしても、人間関係にしても、絶対的にそれがいいって思えるものをこれからの人生で増やしていきたい。
そんな気付きを騒音掃除機が与えてくれた。
ということでまとめると、アイリスオーヤマさんの掃除機は優秀だけど、掃除機をかけるのはやっぱり嫌い。
ルンバを買います。
おしまい。