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ただの偶然が「神」すぎる話。

僕はくだらない話とか無駄な話、
結論の出ない話が結構好きだ。
答えが明確なものも嫌いじゃないけど、
あれこれと考えたり誰かと議論したりすることの方が
断然ワクワクする。

たとえば、ちょっとびっくりするような出来事が起こったときも、ただの偶然で終わらせる人よりも、『なんでこんなことが?』って、思考を巡らせてくれる人と話すのが楽しい。

そんな僕が、今日はただの偶然的でくだらない話を書こうと思う。

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僕は神奈川県横浜市で生まれ、希望ヶ丘高校に進学した。
ちなみにこの学校は元々“神高”と呼ばれていた神奈川県立横浜第一高等学校が改名したものだ。

その後向ヶ丘遊園にある専修大学に進学したのだが、
デザイナーになる道を選んで2年で中退。
そして神保町にあるデザイン専門学校に通い、
社会人になり神楽坂近くのデザイン会社に入社した。
転職して銀座の会社に移ったものの、
感染症の流行でドタバタし、半年で辞めることに。

その後は神保町にほど近い会社に入社して、
ここで大きな経験を積みながら充実した日々を送った。その後神田にある会社に転職もした。

今は福岡に移り天神から徒歩10分ほどの大名という場所に住んでいる。

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くだらない話を書くと言いつつこれじゃ自己紹介みたいだけれども、僕が『くだらない話』と言ったのはまさにこの自分の略歴だ。

何が言いたいかというと、人生を振り返ってみると
僕の行くところ行くところの近くには、なんと、常に「神」がいたのだ。

神が不在の02と05は早々に縁がなくなっている


そんなことくだらないと言いたいことはわかる。
だけどこういう発見が自分にとってはちょっとした興奮材料になる。別にその文字が「神」でなくてもテンション上がったんだろうが、たまたま「神」だったこともあり何かこう縁起が良い気もしてテンションも倍増だ。(厨二病っぽいところがあるのは自覚している)

ただの偶然的な話で、意味はないのかもしれない。
だけど自分の略歴を振り返ってみていただいて、
僕と同じような体験をした方はいるだろうか?
多分、殆どいないんじゃないかと思う。そう思うとやっぱり誇らしい。

ここまで書いてみて思うのは、『くだらない話』なんて言いながら、実はこういう偶然が自分にとってのスパイスになってるってことだ。気づいたらいつもそばに“神”がいたと思うと、なんだか少しだけ人生が面白くなる。

この先もまたどこかで、ふと“神”が顔を出してくれるかもしれない。そんなふうに考えたら、くだらない話も案外、捨てたもんじゃない。

おしまい。

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