現状維持と友だち、そして…
僕はアート作りにおいて言葉を乗せるので、
言葉の定義とか本質ってよく考える。
言葉の定義って実はとっても曖昧なのに、
すでに作り上げられた概念みたいなものに
囚われていることってよくあるなと思う。
タイトルに挙げた「現状維持」も「友だち」も
僕がよくその概念を疑う言葉の例だ。
「現状維持」という言葉について
「現状維持」って仕事においても生活においても
割と出やすい言葉だと思う。
場合によってはそれがポジティブにもネガティブにも捉えられるなんとも曖昧な言葉だなと感じる。
内容は全然違うのに「現状維持」という言葉で色々なケースが括られすぎているからだ。
例えば「何もしないこと」を現状維持と呼ぶならば、それは維持というより怠慢だ。
逆に、今いるところから後退しないため(させないため)に行動がめちゃめちゃ伴っている場合に使う現状維持は、維持というよりむしろ前進。
ステータスは変わらないかもしれないけど、行動が伴っていれば、自分自身に「経験」という財産は残るからだ。
「友だち」という言葉について
「この人は〇〇だよね」とか「私たちって〇〇な関係だよね」とか。カテゴライズしたりされたりするのは基本元々好きじゃない。
もちろん自分も「友だち」という言葉は便宜上よく使う。でもそれはあくまで便宜上であってカテゴライズを意識しているわけではない。
というのも、「友だち」という言葉ほど定義が曖昧なものはないからだ。もちろん調べれば定義は出てくるだろう。でもそれは一般論であって、人それぞれで定義が違うものだ。
・同僚
・先輩後輩
・お客さん
・クラスメート
関係性を表現する言葉はたくさんあるけれど、この辺の言葉は、それに該当する「条件」が存在するからわかりやすい。同僚であれば一緒に働いている必要があるし、お客さんであればそこに「仕事」が発生しないとその関係性にはなれない。
そうなると、条件を定めにくく人によって定義がバラバラとなる「友だち」というカテゴリーはなんとも曖昧なものだと思う。
だからこそ僕は、人との関係性をあまりカテゴライズされた言葉で定義したくない。Aくんという仲の良い存在がいる場合、「自分とAくん」だけの関係性を定義したいし、曖昧な言葉で括りたくないなと思う。
(それでも「友だち」という言葉は使っちゃうけどね。本心はそんな感じなんです僕は。)
「正解」という言葉について
最後に「正解」という言葉について。
例えば、たくさんの選択肢の中から「正解」を選ぶ作業があるとする。
その中で正解を無事に見つけ出すことが出来た時、なぜかそれ以外を「不正解」とする傾向ってある。
正解が一つしかないって誰かが決めたわけでもないのにそう思ってしまう「正解」という言葉のパワーはすげーなとよく思う。だからこそ惑わされたくない言葉だと感じる。
(そもそも正解の定義とは?という話もあるが、ややこしい話が余計ややこしくなるので今回は割愛🙏)
例えば、強くありたいと理想を描いている自分がいるのに、心の弱さが出てきてしまうことってないだろうか。(ない人はめっちゃリスペクト。)
僕はそこまで出来た人間ではないなので笑、強くブレずにいたいこの気持ちと、誰かに頼りたい弱い自分のこの気持ち、どっちが本当の自分だろう?と考える場面は何度もある。
でも、結局いつも思うのはどっちも本当でどっちも正解だということ。どちらかを否定するのでなく、どちらも許容することって自分にとってとても大切だなと感じる。
囚われるものではなく、使うもの
言葉は自分の思考や感情を伝えるための重要なツールだけど、その定義や使い方に囚われ過ぎると本質的な意図を見失ってしまう。
日常で使う言葉は、実はそれぞれ個々人の経験や感情、視点によって異なる意味を持つことが多い。だから言葉には固定的な意味を求めるのではなく、その流動性を理解して受け入れる柔軟性が求められるべきだ。
ただでさえ日本語ってのは複雑なんだから、上記のようなことを意識していきたいものだ。
おしまい。