音楽という存在と価値とかについて

どこで見たのか覚えていないが、岸田さんが云ってたことを自分なりに解釈して淡々と書く。


「音楽は自然から見たらどうあっても不自然な存在」

「音楽は聴かされるもんじゃない。」


って、岸田さんは云ってたように思う。

言葉の組み立てなんかは間違っているかも知れないが、そういうことを云ってた。


音楽は人が創り出したもんだから、その辺に咲いている草木や花なんかとは違って、建築物みたいに人工的で不自然なもんだって。


全くその通りだな。そう思った。


音楽は街を歩けば、どこからでも聴こえてくる。

テレビを付けても、どのチャンネルでも音楽は鳴ってる。


岸田さんはそういうのは、好きじゃない。って云ってた。


同時にこんなエピソードも話してた。


「ウィーンに行った時、街には音楽なんて流れてなかった。静かだった。でも皆音楽を心から大切にしていた。」と。


僕はウィーンに行った事があるわけではないから、分からないけれど、つまりそういうことなんだろうと思う。


日本人は音楽を大切にするってことの意味や価値を分かっていない。

もちろん、それは僕を含めた大多数の人間を対象とするのは、言うまでもない。


それが悪いということではない。

でも、そういった事を自覚するべきなんだとは思う。


そういった意識を人が一人一人持つ事が出来れば、世界が変わるのは言うまでもない。

簡単じゃないけどね。

「音楽は不自然」

これは大前提だ。

でも僕たちは生きていれば、勝手に耳から音楽が周りから入ってきてしまう。

音楽=不自然というのはコンセプトなんだから、それを聴く側が歪めてしまっては、意味が歪むのは必然だと思う。

だから、音楽はあくまで「聴く」ことが大事なんだろう。

人の意図や感覚で創ったものなのだから「聴こう」して然るべきだ。

不自然には不自然。

これでやっと音楽は価値を見出され、意味を持てる。

あともう一つ。

音楽を大切にするために必要なものがある。

それは「静寂」だ。

日本人は他人を気にしすぎるから静かであることが得意じゃない。

人の目線や呼吸音、意識が気になるから、意識を逸らすために音楽が流れている。

音楽はそんな事の為に存在するのではない。

静けさを愛するということは、自分という人間を受け入れ、一人一人を尊重出来るという事だ。

ただそこに在る自分を許せるという気概を持ち合わせるということだ。

私自身、こんな事を考えてはいるものの、やはり人の意識が分散してくれればと望むことは多く存在する。

静けさが苦手だと思うときもある。

ただ、少しずつ正しい方向へと自分を変えていけたらと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?