イヤー・トレーニングのすすめ(第1回)
こんにちは。名古屋でジャズを演奏している吉岡直樹です。
音楽は聴覚による芸ですから、音を音楽的に聴き取る力(聴音)がとても大切です。しかし、これをどのようにトレーニングしたらよいか、ということについてはそれほど議論されていないように思いますし、それが大事だということ対して反対意見はないとしても、それがどのように有意義なのかという具体的な内容についてそれほど理解されていないような気がします。
私は、ジャズを聴き始めてから30年以上、楽器を始めてから約30年、不特定多数のお客様を対象に演奏するようになって20年以上経つ程度のキャリアですが(この業界では若手を卒業して中堅に入るかどうかという程度でしょうか)、それでも5年前、10年前と音楽の聞こえ方はまるで異なります。楽器の鍛錬と同じくらいイヤー・トレーニングに時間と集中力を割いているからだと思います。
そこで、あまり認知されていないイヤー・トレーニング(耳の鍛錬)について何回かに分けて、その重要性や具体的なトレーニング方法について書いてみたいと思います。
「耳がよい」とはどういうことか
イヤー・トレーニングをすると「耳がよく」なります。つまり、これは近眼の人が、適切な眼鏡をかけて写真を見るようなもので、音楽のディテールについて聞き取り、そしてその内容が理解できるようになることです。
では、「耳がよい」とはどのようなことなのでしょうか。まずは、ほかの分野にたとえて考え、次に、演奏中(合奏中)の状況について考えてみましょう。
「耳がよい」ことをほかの分野に例えると?
「味音痴」という言葉がありますがよい例えだと思います。そもそも、味覚は好みがあって当然なので、高級フレンチや寿司が好みでなくても、ファストフードやインスタント食品のほうが美味しいと感じても、栄養さえバランスよく摂取できているのであれば、それはそれで構わないと私は思います。
しかし、それが料理の作り手、特にそれがプロとなれば事情は少し異なるでしょう。プロの料理人が「味音痴」では、客は少し困るでしょう。
もう少し正確に考えましょうか。「味音痴」とは、美味いか不味いかを判断する審美眼だけではないでしょう。私のような味音痴であれば美味い不味いと勝手気ままを言っていればそれでよいのですが、プロの料理人であれば、調理方法、使われている調味料やその配合などについて正確に把握できるでしょうし、もし不味いというのであれば、どの点をどのように改善したらよいか的確に判断できるはずです。
絵の場合はどうでしょうか。私も画家も、見ている対象の絵は全く同じです。しかし画家のほうがより絵を深く見ているといえるのではないでしょうか。
確かに画家だからといって視力がよいとも限らないので、一緒に見ている絵の素人のほうが視力がよいということもあるでしょう。でも、絵を鑑賞するということは視力の良し悪しとはあまり関係がないですよね。
例えば、画家であれば、見ている絵に頭のなかで補助線を1本加えて、見え方を一変させているかもしれないですし、さまざまなほかの画家との比較でパロディやオマージュに気づいて楽しんでいるかもしれません。それに、使われている色の配合や技法についても正確についてきちんと理解できるでしょう。
マジック・ショーの場合はどうでしょうか。マジシャンは「種も仕掛けもありません」と言います。しかし、観客は見事にだまされます。それが楽しいのですが、しかし、見習いのマジシャンであればそうはいかないでしょう。なかには種や仕掛けを見抜けることもあればそうでないこともあります。もし、自分がちょっとした舞台に立つことがあれば、種や仕掛けを理解せずにショーを成功させることは不可能なことはいうまでもありません。
では、音楽の場合は?
それでは音楽の場合はどうでしょう。
音楽は嗜好品です。だから、上手いけれども嫌いということもあれば、下手くそでも好きということはあります。私にもそういうところは少なからずありますし、それは聴くかたの自由です。
しかし、実際に演奏する側に立つときは、好き嫌いの問題とは別に、できるだけ音楽を正確に捉えるほうがよいといえるでしょう。
楽器の演奏はインプットとアウトプットの連続です。特に2人以上での合奏では、アウトプット(楽器の演奏技術)と同様、インプット(共演者が何をどのように演奏しているかの把握)がとても重要です。共演者の演奏をきちんと捉えることができないと、まるで歯車の噛み合わない会話のような演奏になってしまうからです。
演奏していて「抜群に耳がよいな」と感じる共演者は、私の何気ないベースラインに反応したり、ソロの内容に対して適切なコンピングをしてきます。
それは、具体的に私が何を演奏しているかということだけでなく、何を根拠にその音を出しているか、言い換えるなら、私の音楽的なアイディアや意図についてもきちんと把握しているということなのでしょう。
つまり、「耳がよい」ということは、絶対音感や相対音感があるとかないとか、そういうことだけではなく、相手の演奏に適切に反応する土台となる、音楽的な文脈や内容についての理解がきちんとできているということなのだと私は考えます。それは、優秀な料理人や画家が、他人の料理や絵を理解できるのと同じことだと私は考えます。
それでは、イヤー・トレーニングは具体的にどのようなことなのか、これは次回以降で説明していきたいと思います。