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オランダ旅行記 2024.4.24〜2024.5.1

オランダ行きの機内で。

 オランダ行きの機内に乗り込んでまもなく、となりに座った年配の男性が声をかけてきた。
「実は女房と席が離れてしまって、もし出来たら席を代わっていただけませんか?」
 手荷物を座席上の収納棚にしまい、ペットボトルや携帯の充電機をセットし終えた後だったから、ぼくは少しうろたえた。それに、旅のスタートから計画が狂うのは幸先がいいとは思えなかった。
 しばらくうーんと考えたが結局、荷物を抱え、ぼくは席を譲った。これはやさしさというよりも、人にものを言えない自分の性分である。
 男性に案内された席に座ると、そこは元々座っていた席よりも座席の間隔が狭い席だった。(身長が180cm近くあるぼくは、追加料金を払って、"エコノミーコンフォート"という座席を指定していた。)
 僕は男性の席に戻った。となりには、上品な白髪の女性がすでに座っている。
「すいません。仰られた席なんですが、こことは座席の種類が違うようなんです。ぼくは追加料金を払ってこの座席をとっているので、やっぱり席を代わってあげることができません。ほんとうにすみません」
 今度は性分に負けずにきちんと伝えた。白い髪の女性は"いいんです。いいんです。気持ちだけでもうれしかったです。ありがとうございました。"と本当に申し訳なさそうにぼくに言って席を離れた。となりの男性も"悪かったね"と続けた。
 結局元の席に戻ったぼくは、しばらく居心地が悪かった。だが、この収まりの悪さがまさかオランダ に着くまで続くのではなかろうかという一抹の不安は、すぐに杞憂に終わることになった。となりに座った、先ほど席を代わってあげられなかった年配男性が、優しく声をかけてくれたのだ。
"ヨーロッパ旅行は初めて?"
"どこに行くの?"
"あなたがとなりでよかった。となりが誰になるか心配していたから"
初めての海外一人旅で、不安な気持ちでいた機内で、日本語で、こんなふうに優しく話しかけてもらえたことは、僕に大きな安心感を与えた。
 フライト時間は13時間以上にも及んだが、到着までの間、僕たちはほんとうにいろいろな話をした。今住んでいる場所、家族のこと、今回の旅行のこと。今までの仕事や、学生時代のこと。これまでに行った国や都市。好きなこと。聞けばなんでも丁寧に教えてくれた。男性は名前を島藤と言った。もし降りたら、これを調べてほしいと言って、ぼくに所属している会の名前や、娘さんの名前も教えてくれた。
 フライトの終わりが近づいてきたとき、ぼくは、”帰りのフライトはいつですか?"と何気なく聞いた。島藤さんは"4/30だよ"と言ったので驚いた。なんと同じ便だったのだ。この事実がこの旅の間、僕に与えた安心感は、とても大きいものだった。日を同じくして、僕のことを知ってくれている日本人がヨーロッパを旅している。そして、それぞれ全く違う旅をしながら、最終的にはまた重なるのだ。そう思うだけで、不思議な安心感があった。
 僕はiPhoneのメモで即席の手紙を書いた。席を譲れなかった謝罪と、たくさんお話していただいた感謝をどうしても伝えたかった。スキポール空港の入国審査場で、僕たちは手を振り合って別れた。
 それから6日後、スキポール空港の出発ロビーで、「なおきくーん!」と後ろから肩を優しく叩かれたとき、僕は胸がいっぱいになった。
【4/24 オランダ行きの機内】

クレラーミュラー美術館へ向かう日の朝 電車内から

クレラーミュラー美術館はこの旅で一番の遠出だったから、ぼくは少し緊張していた。出発の前に立ち寄ったコンビニで、店員の男性がやさしくバイバーイと言ってくれて、気持ちが和らいだ。この男性に限らず、オランダの人の多くがこんなふうに接してくれる。洗練された優しさ、親しみやすさ、明るさ、とでも言おうか。日本にはあまりないものだ。【4/28 9:00 Hoof ddrop駅】


"夜のカフェテラス"や、"アルルの羽橋"、"糸杉と星の見える道"など、ゴッホの名画をずらりと揃えたクレラーミュラー美術館の中でぼくの心に一番残ったのは、彼の初期の作品群である、暗い画面の人物画が一様に並べられた一画だった。
 そこにはその後の彼が獲得した、命を削って描いたような"分厚い筆跡"や、今なお多くの人たちを魅了し続けるその"鮮烈な色彩"こそないが、ゴッホ自身の心は、何も纏うことなくそこに存在しているような
気がしたからだ。
 その画面からは、画家としての"苦悩"、生きることへの"苦悩"がたしかに伝わってくるが、ぼくがそれ以上に感じたのは、ゴッホの「絵を描くこと」に対する"真面目さ"や"誠実さ"、そして"純粋な探究心"だった。【4/28 12:22 クレラーミュラー美術館】


Hoofddrop駅のプラットフォーム。
スキポール空港から電車で10分弱のHoofddrop駅。
緑豊かで静かな美しい駅だった。
滞在した【Hotel Novotel Amsterdam Schiphol Airport】はHoofddrop駅から徒歩約5分。
美味しくて、栄養たっぷりのホテルの朝食
周辺では動物たちも平和に暮らしている。
ホテル近くの美しい散歩コース。
なかなか時間が取れずにいたが最終日に歩くことができた。すこし遠くの空を、飛行機が飛んでいく。

スキポール空港行きの電車を待っていたら、数分前になっていきなり乗る路線が変わった。オランダではこういうことがよくあるようだ。みんな慌てて走る。なんとか乗ることができたけど、ぼくの前に座った年配の女性の息も絶え絶え。別日には、間に合わずにがっくり肩を落とす人も見た。
【4/28 9:05 Hoofddrop 】

ユトレヒトセントラル駅前。アムステルダムよりも、オランダの"日常"を身近に感じた。
ユトレヒトの街並み
運河の雰囲気もアムステルダムとは違う(4/28)

花束を持ってひとり颯爽と歩く、黒人の女性。その佇まいが美しくて、とても印象に残った。こういう人は、心も絶対に美しいに違いない。僕はここであるインスピレーションを得た。こんな写真集があったらいいな。【4/28 17:30 ユトレヒト】

スキポール空港に着いてすぐ、ovカード(日本でいうsuica)を作った。NS、メトロ、トラム、バスや水上バス、すべてで使うことが出来てとても便利だった。
ovカードの実物。もうひとつ便利な交通費支払い方法にクレジットタッチ決済があり、これは手持ちのクレジットカードを改札にかざすだけだが、クレカのトラブルはなるべく避けたかったので、今回はovカードを使うことを選択した。
1週間使うと愛着もわき、旅行の記念にもなる。

空港の発券機で交通カードを買うのに戸惑っていたら、若い男性が後ろから"手伝おうか?"と、カードの買い方やチャージの仕方を丁寧に教えてくれた。オランダに着いてまもなくのことで、今思えば、これから出会う数々の素晴らしい出会いを暗示していた。【4/24 19:15 Schiphol airport】

オランダ航空の機内のトイレ付近のスペース。幅は肩幅より少しあり、簡単な運動は可能だ。ここでも知らない人との会話が生まれることがあった。

行きの機内で出会ったオランダ人の男性とは、20分くらい話した。お互いに、軽いエクササイズをしに、たまりのスペースに来たところだった。日本語が上手で、オランダで柔道の先生をやっているんだって。(恥ずかしいことだが、"巴投げ"っていわれても、ぼくはどんな技か分からなかった。)知らないと聞き取れない"ベルギー"の発音や、"ダンクウェル"(オランダ語の丁寧なありがとう)を教わったよ。
【4/24 オランダ行きの機内】

アンネ・フランクの家の前。
チケットが取りずらいので、行きたい人は旅程が決まり次第チケットをおさえるのがおすすめ。館内は撮影禁止だった。
併設されたカフェ。ここのケーキとコーヒーがとても美味しかった。ここからみる運河沿いの景色は、当時アンネがみていた景色そのものに違いない。

アンネフランクの家で出会ったクラーク係の男性は、日本からきたと伝えたら、"ニホン!スバラシイ!"と言ってくれた。その後、館内の説明も一生懸命、日本語でしてくれたんだ。本当に勉強しているのが伝わる、心に響く日本語だった。館内を出る時も、"ドウデシタカ?"と日本語で聞いてくれたから、"I was really moved!"と伝えた。あたたかくて、印象的な人だった。
【4/25 10:30 Anne frank's house】

その男性のとなりで、彼の日本語に"cool!"と言って驚いていた女性のスタッフ。"日本語でThank you"ってなんていうの?"と聞いてくれたから、"ありがとう"だよと伝えたら、笑顔ですぐに使ってくれた。
【4/25 10:35 Anne frank's house】


旅行中に食べたスイーツ。朝ごはんをちゃんと食べて出るようにして、お昼はレストランの代わりにカフェでゆっくりするのが旅の間のサイクルだった。
クレラーミュラー美術館で食べたケーキセット。
この旅では美術館に併設のカフェにすべて行った。ケーキセットを食べて少しゆっくりすると、身体の疲れがすーっととれた。スイーツがなければ、アクティブに動き回る旅は成立しなかった。

クレラーミュラー美術館のカフェはお昼時で混んでいた。ぼくが4人掛けの席にひとりで座っていると、"Can we join?"と3人組のグループが声をかけてきて、一緒の席になった。しばらくして、ぼくが立ち去ろうとしたとき、目を合わせて笑顔で"Thank you!"と言ってくれた。ぼくはその一連の出来事がとてもいいなぁと思った。日本ではあまりないことだから。
【4/28 13:25 クレラーミュラー美術館】

アムステルダムセントラル駅の美しい駅舎。東京駅のモデルになったとされている。写真右側は時計。左側はオランダらしく風力計がついている。
ライブカメラに向かって手を振るぼく。(写真下中央)
緑色の服をきているのは、見つけやすくするため。
恥ずかしかったけど、映り込むことに成功。
ライブカメラに映り込んだ時に着ていた服装。Tシャツは2022年の個展の際に自作したもので、よく目立つ。ちなみに、この格好でキューケンホフのフラワーパークも歩いた。

アムステルダム中央駅では、老夫婦に空港までの路線を聞かれた。"シューポール"に行きたいという。"スキポールだよね?スキポール空港に行きたいんだよね?"と念押しして訊いたけど、"No, シューポール"と言っていた。一応乗り換えアプリで空港までの乗り方を調べてみせてあげたけど、力になれたかはわからない。
【4/29 12:35 アムステルダムセントラル駅】

スキポール空港内の化粧品売り場にて。
'ぱっちり目'のキレイな女性店員。
きらきらの薬指の爪。
背景は今回の為に新調したスーツケース。

帰りのスキポール空港で、化粧品店頭販売のぱっちり目の女性に声をかけられた。
"肌きれいですね〜"
そう言われて立ち止まったぼくに、彼女はよどみのない動作でサンプル品のクリームを手渡した。
"このクリーム、すごいんですよ。塗ってみてもいいですか?"
へぇ〜どれどれ?ってな感じで、言われるがままに差し出したぼくの右手に、彼女は丁寧にクリームを塗った。塗り終えると、"どうぞ、左手と比べてみてください"と言って、整った笑顔をぼくに向けた。綺麗な人だなぁと感心しつつ、そのクリームの効果も同時に体感したぼくだったが、92€と聞いてさすがに正気に戻った。
"ちょっと高いかなぁ"ぼくは苦笑いをして、牽制した。
だが、'ぱっちり目'はひるむ様子をいっさいみせなかった。かわらずの美しい仕草で、"もう少しお安い商品もあります。これは爪のケア用品なんですけど、、、"とぼくの死角から次なるアイテムを繰り出した。マジックの実演販売も出来るんじゃなかろうかと思うほど華麗な、流れるような一連の動作に、ついつい拍手を送ってしまいそうだ。
例に漏れず、ぼくは'ぱっちり目'に手を差し出していた。
その爪ケア用品の効果は驚くべきものだった。あれよあれよという間に、ぼくの薬指の爪はダイヤモンドのような光沢を湛えた。
"いくらですか?"と、聞くぼくと、"32€です"、と言う'ぱっちり目'の勝敗の行方は、もうここで書く必要はなかろう。
【4/30 11:15 Schiphol airport】

ダム広場で撮った写真。

ダム広場で動画を撮っていたら、女の子のグループ(しかも2グループ)が笑顔で駆け寄ってきて、一緒に写真を撮って!と言われたので、それぞれ1枚ずつ撮った。僕のiPhoneでも記念に一枚撮った。(写っているのは、グループのうちの1人の女の子)なんでそんなに人気だったのかはわからないけど、とにかく、僕は"ときどき"モテる。
【4/25 9:50 ダム広場】

持っていったカップラーメンとペットボトル
円安もあって、一本500円以上するミネラルウォーター

日本で買い込んで、スーツケースに出来るだけ詰め込んだカップラーメンとペットボトルは、ほんとうに持って行ってよかった。夕ご飯はもちろん、水1本買うのも躊躇われる極度の円安下だったためだ。
夜ホテルに帰ってきて、食べ物を何にするか考える必要がなかったことも、ストレスなく旅行するうえでとても重要なことだった。ちなみにぼくは日本にいるときはカップラーメンをほとんど食べない。
【4/24 21:00 ホテル内】

写真を撮ると指定した言語に翻訳してくれるアプリを、
旅行中に数回使った。
駅の改札で会った男性が持っていたチケットを翻訳カメラで撮ったけど、日本語でもなにをどうしたらいいのかよく分からなかった。

キューケンホフ公園からの帰り、Hoofddrop駅の改札を降りるとひとりの男性に声をかけられた。英語ではなかったから詳細は全く分からなかったけど、とにかく困っている様子で、手にはなにやら紙を握りしめている。ぼくは翻訳アプリを使えばいけるかも!と思い、彼のチケットを写真で撮り、日本語に解読してみた。正直、日本語で読んでみても何をすればいいか分からなかったので、数分間の格闘の末、"ごめん!わかんない"と言って諦めた。それでも、彼は"ありがとう"と言って去っていった。
【4/29 19:54 Hoofddrop駅】

ザーンセスカンスで、風車と。

ザーンセスカンスでは、女の子の2人組に風車を背景に写真を撮ってもらった。明るくてすてきな女の子たちで、日本にも来たことがあるんだって。1人はオランダ 、もうひとりはロンドンから来たと言っていた。
【4/25 16:15 ザーンセスカンス】

ホットチョコレートを注文したら、満面の笑顔でクッキーをおまけしてくれた店員の女性。
"Thank you soo much!!"と伝えると、"Your welcome! Enjoy!!"と言ってくれた。
ホットチョコレートと同じくらい心が温まった。
【4/25 16:38 ザーンセスカンス】

雨宿りしたデン・ハーグの建物の玄関
その建物のあるストリート。
雨宿りしてから小一時間。空は青空に。
写真はオランダの政府機関、ビネンホフ。

オランダの春の天気はとても面白かった。最初の4、5日は、一日のうちに、晴れ、曇り、雨が全部あったのだ。変わりやすいとは聞いていたけど、想像以上だった。デン・ハーグのマウシュリッツ美術館へ向かう途中、急に雨が降ってきた。ぼくは"それはそれは美しい建物"の玄関で雨宿りをすることにした。しばらくして、正装をした男性がやってきて、その建物に入ろうとしたので、とっさに歩き出そうとしたら、"まだいていいよ。まだ雨が降ってるよ。"とやさしく言ってくれた。
【4/26 9:23 デン・ハーグ】

コンサートホールに続く赤いカーペットとドア。
座った席は、なんと最前列だった。
演奏前の観客の"溜まり"
正装に着替えたぼく
コンセルトヘボウの美しい白基調の内装。

コンセルトヘボウの内装は、息をのむほどの美しさだった。演奏の前には観客が談笑したり、お酒を嗜んだりする"溜まり"のような場所があり、重厚なカーペットの敷かれたその場所は、これから始まる演奏への期待感と高揚感に満ちていた。ぼくが頭上のシャンデリアを眺めながら入場を待っていると、"今日のプログラムはありますか?"とひとりの女性に声をかけられた。"I'm not sure."と言うと、"Oh, sorry!"と言って笑顔で去っていった。(多分ないとは思うが)ぼくがシャツを着て、ネクタイを締め、おまけに首からカードやらパスポートなんかをさげていたから、スタッフと間違えられたのかもしれない。とにかく、どうするか迷ったけど、正装を持ってきてよかった。おかげで、コンセルトヘボウの美しさにもちゃんと馴染めていたと思う。
【4/27 14:00 コンセルトヘボウ】

最前列、中央淡いブルーのシャツがぼく。
拍手👏👏👏
座った席から撮った写真。

今でも信じられないのだけど、スタッフに案内された席は、最前列のど真ん中だった。指揮者の息遣いや、演者の目線がよく見えた。正直、最初は緊張していた。少しでも咳き込んだりしたらどうしよう、iPhoneの電源、ちゃんと切ったよなとか、色々考えていたから。けれど演奏が始まって、その音に集中していると身体中の余分な力が抜け、不安は深い安らぎの気持ちに変わった。音楽の持つ大きなちからを感じた時間だった。【4/27 16:00 コンセルトヘボウ】

一緒に写真撮ろうよ!と声をかけてくれた男性と。
コンセルトヘボウのすぐ側で。
コンセルトヘボウを背景に。
気遣いのできる男性が撮ってくれた思い出の一枚。

コンセルトヘボウでの素晴らしいコンサート鑑賞後、その美しい建物にカメラを向けていると、"一緒に写真を撮ろようよ!"と明るく声を掛けてくれたフレンドリーで陽気な男性と、そのすぐ後に、その一部始終をおそらく見ていて、ぼくが本当はコンセルトヘボウをバックに撮りたかったんだろうと察して、声をかけてきてくれた男性。"ここの音楽、素晴らしかったでしょう"と聞いてくれたので、"Yes!! It was so amazing!!"と答えた。
【4/27 17:07 コンセルトヘボウ】

人の渦にのまれながら撮った"決死"の一枚。
右をみても左をみても、振り返ってもこの人の数で
頭がくらくらしていた。

キングスデイのアムステルダムは人がすごくて、身動きがとれず、ぼくは圧倒されていた。とにかくトラムに乗ってここを離れようと考えた。とても疲れていて思考が鈍っていたのと、街はお祭り騒ぎで、道を聞ける人を探すのも難しかったので、とても不安な気持ちだった。そんな時、なんとかたどり着いたトラムの駅で、ひとりで電車を待っている褐色の男性を見つけて、やっとの思いで声をかけた。"このトラムで合っていますか?"ぼくはiPhoneで検索してあった乗り換えアプリの画面をみせながら尋ねた。男性はぼくのiPhoneを覗き込み、"あってるよ!ぼくもおんなじ目的地だよ。"と言ってくれた。"どこから来たの?"とも、聞いてくれた。お祭り騒ぎ騒ぎの街で出会った、落ち着きのあるやさしいこの男性が、ぼくの強い不安をやわらげてくれた。
【4/27 18:00 アムステルダム】

右上のEマーク。

通信環境はdocomoの"ahamo"を使ったので、iPhoneの設定でデータローミングをオンにするだけでそのまま利用できた。便利だったが、問題もあった。7日間のうち2日は、iPhoneの右上に"E"のマーク(これは極めて遅い通信能力で、正直、通信できないに等しい)が出ていたのだ。この通信環境のまま海外の街を歩き回るのはとても不安だった。
【4/26 16:30 delft】

ガイドブック『地球の歩き方』
旅行中に使うことはあまりなかったけれど、
行く前の下調べではとても役にたった。
『地球の歩き方』のマップを使ってみつけた
世界でここだけのミッフィー信号機。かわいい。

ガイドブックは旅の間ほとんど読まなかったが、前述したとおり、ユトレヒトではiPhoneの通信環境が"Eマーク"だったので、ミッフィーの信号機を見つける際に重宝した。
【4/28 16:30 ユトレヒト】

ある日みつけた"自転車の国"の名に恥じない駐輪場。

オランダ では自転車と一緒に電車に乗る人がたくさんいる。揺れて、倒れそうになって、あわててキャッチ。一部始終を見ていたぼくと目があって、彼は会釈をくれた。
【4/28 9:10 ユトレヒトへ向かう電車内】


クレラーミュラー美術館の中からみえるガーデンの景色。


クレラーミュラー美術館は、緑に囲まれた静かで美しい美術館。緑の中庭を見ながら、赤ちゃんにおっぱいをあげるお母さんをみた。
【4/28 12:20 クレラーミュラー美術館】

満員のトラムで、不快な声とジェスチャーをする布を被った年配の女性。
【4/27 18:05 アムステルダム トラム内】


メニュー表を、翻訳カメラで。
旅行中、最初で最後のビール🍺
ピーナッツソースに柔らかいチキンがマッチしたとても美味しい料理だった。

最終日だけ奮発して(それ以外の日はほぼカップラーメン)、ホテルのレストランで豪華な夕食をとった。メニュー表には食べ物の写真がなく、これが一体なんのメニューなのか、これを頼むと一体何が目の前に出てくるのか検討もつかなかった。スタッフがやってきて"何をご注文なさいますか?"と言ったとき、ぼくは携帯の翻訳アプリで日本語に変換している真っ最中だったので、"Just a moment."と苦笑いしながら言った。日常生活で必要な英語はできるようになってきたけど、レストランのメニュー表の英語は難しいなぁと思った。
【4/29 21:05 Hotel Novotel Amsterdam Schiphol Airport】

キングスデイの日、ゴッホ美術館でオレンジの服を着て、テオの戸棚をみつめる女の子。

キングスデイの日の朝、Amsterdam Zuidの駅を出ると、オレンジの帽子や服を売っている露店を見つけた。少し離れた場所から写真を撮ろうとしたら、露店の男性に撮るな!というジェスチャーをされた。理由はよく分からないが、お客さんもいなかったから、訳ありの店だったのかもしれない。
【4/27 9:25 Amsterdam Zuid】

ホテルから撮ったオランダの遅い日没。
時間は21:00

この時期のオランダは日没が遅いので、旅がとてもしやすかった。ただ、アムステルダムの街の夜景をトラムやフェリーに乗って見てみたかったが、かなり夜遅くに出歩くことになる為、それは出来なかった。
【4/26 21:00 ホテル】

成田空港で両替したユーロ。

初めて手にしたユーロ。カラフルでステキな紙幣だった。結局、ホテルのチップで10€置いた以外使うことなく旅を終えた。日本よりはるかにキャッシュレス化が進んでいることを実感した。
【4/23 18:00 成田空港】

置き手紙とチップ

帰りの日、ぼくはどうしてもオランダ という国、出会った人たちに感謝を示したかった。この素晴らしい旅は、彼らがいなければ存在しないものだったから。ぼくは人生で初めて置いたチップの横に、心からの感謝をこめて手紙を書いた。

"Thank you for the amazing service, encounters, and experiences. Thanks to "you", the journey has been wonderful and will be a lifelong treasure. I've grown to love the Netherlands ever more. Thank you so much❤︎ I'll miss you❤︎"

2024.5.1 Naoki Matsuda
【4/30 10:30 Hotel Novotel Amsterdam Schiphol Airport】

本当に不思議なことではあるが、日本に帰ってきてからの帰路でも、いくつかの印象的な出会いが続いた。帰りの機内でほとんど寝れなかったぼくはとても疲れていて、静岡まで新幹線で帰ることにした。券売機で切符を買っていると、となりから外国の女性に声をかけられた。小柄で、とても品のある人だった。年齢は50歳前後だろうか。
"英語がわかりますか?"と聞くので、"はい、大丈夫です。どうしましたか?"と聞くと、"原宿に行きたいんです"と言う。"ちょっと待っててね"と言って、ぼくは急いでiPhoneで乗り場を調べた。
急げば、数分後のひかりに間に合うところだったけれど、それはもう重要ではなかった。異国の地で困っているとき、現地の人のやさしさや親切さが、どれだけ助けになり、安心感を与え、深く印象に残ることか、ぼくはそのときすでによく知っていたから。
ぼくはその女性と一緒に、彼女が乗るべき路線までついていくことにした。その間、5分くらいだったと思うが、この旅で一番英語を話した。
彼女はインドから来て、その日の朝、ぼくと同じく成田空港に着いたこと。明日、広島にいくこと。日本が好きだから来たこと。
ぼくのことや、日本のこともいくつか伝えた。静岡から来たこと。今日オランダ から帰ってきて、今から帰るということ。東京駅は日本人の自分にとっても複雑であること。明日、広島にいく時、天気がよければ車内から富士山をみてほしいということ。絵を描いてること。
ぼくはこんなときのために、オランダ へいく前に、名刺の代わりに自作の缶バッジを作っていた。そのひとつを彼女にあげた。あとのふたつは今オランダ にある。
お別れは、山手線4番ホームの階段下だった。"とても助かりました。ここからは自分でいけます。ほんとうにありがとう。"と彼女は言った。ぼくは最後に"ブルーじゃなくて、グリーンだよ。じゃあ、良い1日を!幸運を祈る!"と彼女に伝えた。

※グリーンは山手線、ブルーは京浜東北線
【2024.5.1 13:10 Tokyo station】

帰国した日、静岡駅前で。ほっとした気持ち。

静岡駅から家の近くまではバスで移動した。バス停を降りると、スーツケースを引いて歩くには難しいほどの雨が降っていた。家まで残り数百メートルのバス停の下で、ぼくは途方にくれていた。そんなとき、"すみません。反対方向へ行くバス停はどこですか?"と(当然ではあるが)日本人の女性に声をかけられた。
時々乗る路線だから、問題なく答えられることだったが、長くこの場所に住んでいて、そのことを聞かれたことは一度もない。
それがこの出会いに満ちた旅の最後の最後に起こるなんて、なんて不思議なことだろう。
"あそこに郵便局がありますから、ここを渡ってまっすぐ郵便局の方へ歩いて行くと、バス停に着きます。"
ぼくはとても疲れていたけど、笑顔で明るく答えた。これはこの旅で学んだことそのものだった。【2024.5.1 15:15 A bus stop in Shizuoka】

アムステルダムセントラルに向かう道で、背の高いオレンジの群衆にもみくちゃにされ、お祭り騒ぎの街には、トイレも自販機も見当たらない。水も食料もなく、コンビニもスーパーも閉まっている。さまよい歩く僕に強烈な不安が襲ってきた。
とにかくここを離れようと、やっとの思いで乗り込んだ満員のトラムの中は熱気で蒸し暑く、お酒や大麻の匂いが充満していた。降りるべき駅でまともに降りれるのかさえも分からなかった。
外をみると、緑にあふれた静かな街だった。方向は合っているのだから、降りれる駅で降りよう。そう思い思い切って、ぼくは満員のトラムを"脱出"した。
【4/27 18:07 Station Lelylaanへ向かうトラム内】

"脱出"した先は、緑が多く人が少ない、トラム内からは歩くには理想的な場所に見えたが、車の往来の激しい幹線道路沿いだった。
ぼくは高速道路のような危険な道をあやまって100mくらい歩いてしまった。少し離れた場所で、警察が車から降りてきて、ぼくを見るなり目を丸くして、強めに戻るように注意された。
【4/27 18:15 Station Lelylaanへ向かう道】

女の子2人組と、乗せてもらった車内で。
プレゼントした缶バッジ。
富士山と、おにぎりくん。

途方にくれて引き返したその先で、この旅のハイライトになる出会いがあるのだから、人生本当に分からないものである。
引き返した先にはホテルがあり、エントランスに車が一台止まっていた。中から、若い女の子2人が訝しげに顔を出し(まるちゃんとたまちゃんのようなあたたかな友人関係に僕には見えた)、こちらに向かって手招きするジェスチャーをしている。初めは、まさか自分にと思ったが、やはりそれは、ぼくに向けられたものだった。
"あなたが歩いていた道はとっても危ないんです。どこに行くつもりですか?"と彼女たちはぼくに訊いた。
"この先にあるメトロの乗り継ぎがある駅に行きたいんだけど、、、"(その時、駅の正確な名前が分からなかった。)
"ああ、Lelylaanかな?そこへ行くには、この道の下をくぐって行く必要があるんだけど、少し大変だから、、もしよかったらそこまで送ってってあげましょうか?"
"車の中、散らかってるから"と言って2人は、クルマの後部座席をささっと簡単に片付けて、ぼくが乗るスペースを作ってくれた。ぼくの横の席には、オランダ らしく花束が置かれていた。
車の中で、いくつか印象的な会話をした。日本から旅行でオランダ にきて、3日後に帰ること。アムステルダムでオレンジの人たちに圧倒されたこと。スキポール空港の近くのホテルに泊まっていること。旅の間に親切な人々にたくさん出会えたこと。オランダ のことが大好きになったこと。
ほんの5分くらいの時間だったと思う。それに今思えば、自分のことばかり話しているなぁと思う。彼女たちがぼくに色々質問をしてくれたというのもあるけど、彼女たちのことを、もっと聞けばよかった。だからぼくは彼女たちのことを何も知らない。
車を降りるとき、"こっちはメトロだから、向こうに渡ってね"と2人は最後までぼくに道順を教えてくれた。
ぼくはこの不思議な縁と、2人の偉大な親切心に心からの感謝を込めて、日本から持ってきた自作のバッジを2人に渡した。そして、"写真を一緒に撮ってもいいですか?"と聞いてから、3人で記念の写真を撮った。心から"ありがとう"を伝えて、ぼくはそのクルマを降りた。
この場を借りて改めて、ぼくは彼女たちに感謝を示したい。
『あなたたちとのあの素晴らしい出会いが、あの日のぼくを助け、旅のハイライトになりました。オランダ のことが大好きになり、オランダ の人々や、オランダ での日々がこんなにも恋しいと思うのは、あなたたち2人のおかげです。本当にありがとう!』
【4/27 18:30 Lelylaan駅付近】

day0 機内から見るグリーンランド
day1 アムステルダムとザーンセスカンス
day2 デン・ハーグとマウシュリッツ美術館
day2 デルフト
day3 ゴッホ美術館
day3 コンセルトヘボウ
day3 キングスデイ
day4 クレラーミュラー美術館
day4 ユトレヒト
day5 キューケンホフ公園


Fin‼︎
🇳🇱🌷🧡Thank you for reading!!🧡🌷🇳🇱


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