どうして作りたいと思ったのか?①-前書き-
7年前に書いた小さなメモが手元にある。「そういえば」と、ついさっきふと思い出し、フェルトでできたいつも持ち歩いているパソコンケースの中から取り出して開いた。この存在をおぼろげに覚えてはいたけど、ここにきて、もしかしたら自己発見というか自己の再認識に役に立つかもしれない、と。
このメモを書いたのは2014年3月、青年海外協力隊という制度でオセアニアのパプアニューギニアへ赴任する前に残したもので、メモのタイトルは「2016年の自分へあてた手紙」だった。2016年はとうに通り越して、今は2021年であることに少し笑ってしまう。
そのメモの内容を簡単に言うならば「協力隊へ行く前に抱いている想いはこうだ。2年後、その想いは変わっているのか?」という、自分に対して現在地の確認をしたかったのかもしれない。
当時のぼくは日本での生活を一つの大きな区切りと見て、パプアニューギニアでの2年間をまた大きな一つの区切り「終わり」、大げさにいうと「死」だという認識でいた。それほど大きな出来事だと捉えて今にホントウでいたかった。その2年の後、一つの死を経験してどう想うのだろうか?ということでメモを残したのだと思う。
photo: 焼き石での調理, Rossun, Papua New Guinea, 2015
帰国してから、そして今の現状を一つの結果として、端的に伝えることはできるけど、それでは今までしてきた思索レベルと対して変わらないものになる様な気がするので、ここではもう一歩推し進めて、協力隊に行きたいと思い立ったきっかけも、もしかしたらもっと前の幼少の頃の想い出も書いていて出てきたことをつぶさに観てみることにする。その結果、深い階層での自己発見というか自己認識に結びつけていきたい。、、、ただの迷路に陥るのかもしれないけど。まぁそれも自分にとっては一興かな、と言い聞かせ。
とはいえ、とても個人的なもので、人に見せるものではないよなぁと気が引けつつも、人に見てもらうこと前提で書くことで言葉にちゃんとできるのではないかという自分もいる。いや、きっとそれ以上に自己開示を行うことに対しての恥ずかしさ、開示することによる批判も正直怖い。、、、しっかりしなさいと怒られそうだ笑。
そんなことを想いながら、この7年間やってきた。自分の中で「あぁだこうだ」言って進んでいない状況を作っていた。、、、もうそんな「進んでいない」感に十分飽きてしまった。
こう書くと、料理を作る仕事に不満があるように捉えられるかもしれないけど、そうじゃない。勘違いされると嫌なので伝えておくと、料理を作ること、提供すること、教えることは単に好きだということ。これは元々ちゃんとしたかったし、続けていく。不満なのは「やっていきたい」と仮にも感じていることに対して着手していない自分に対するフラストレーションがあるから。
photo: 協力隊赴任前のメモ, Komagane, Japan, 2014
ようやく本題。
メモの中には、夢という欄があり「東南アジアの文化保存に寄与する」と記載がある。
なんのこっちゃ、大風呂敷だな、と思われるかもしれない。具体的でないし、何だか大義名分臭い。さらに言うと良いことをしようとしている鼻持ちならない感もなくはない。
でも2014年の自分は真剣に考えていた。
そして恐らくこの大枠からは、今も外れていない。
photo: プランテーションタミルの朝食, Norwood, Sri Lanka, 2018
cover photo: 離島のキッチン, Lou, Papua New Guinea, 2015